ひよこ会の標語(ひよこ01)
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私たちに委ねられた小さな、小さなひよこ。このひよこもやがては、大きな鳥になって大空をはばたくようになります。私たちは、そんなひよこの人生のほんの一期間に親という立場で関わるのです。 | あくまでも限られた期間なのです。 子供はやがて親元から巣立っていきます。巣立って行ってもらわなくては困るのです。人生80年とすると、大学時に寮に入るとして18歳、つまり人生の四分の一しか、子育て出来ないのです。ちなみに、子供が自立したら、親ではなくなるという事ではなく、完全に人格的に自立した存在として、新たな関係を築くということなのです。 私の長男は、もし大学の寮に入るとしたら、あと二年半しかありません。それを考えると胸がキュンとします。あの小さかった息子が…。父親として教え残したことは何かないだろうか? と考えると後悔することも多々あります。子育ての話をすると、年配の方は、一様に「もう一度やり直したい」とおっしゃいます。でも、やり直しは出来ませんね。 やりなおす必要もありません。今の目の前にいる人は、自分の子供であると同時に、神に造られ、神に愛されている人です。我が子を神の御手に委ね切る、一人の人格者として、その人生を尊重することが、親としての真の子離れということでしょう。 そんなわけで、今のこの時しか出来ないこと、それが子育てです。また今度というわけにはいかない、今しか出来ないのです。なぜなら子供は成長するからです。親の都合に合わせて成長を待ってはくれないのです。目の前にいるひよこも、あっと言う間に飛び立っていきます。 | 悔いのないように、やるべきことはやりました、と言えるようになりたいものです。 さて、今回は最初ですから、これから進もうとする道を簡単に紹介しておきます。今日は、これからこの学びの標語につてい話します。次回からは、基本的な原則「人格」について、そして妊娠から出産までの時期について。次に7歳までの期間を三段階に分けて、基本的信頼、自立、主体性というテーマで話していきます。何回になるかは分かりませんが、出来るだけじっくりと進みます。そして、いずれの学びにしても、最後には「大丈夫!」で終われるようにしたいと思います。 さて、それではひよこ会の標語です。 ゆっくり | じっくり 子供は育つ
ゆっくり |
とにかく何でもスピード化の時代です。速いことは良いこと、という価値観はどこから来たのでしょうか?
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ゆっくり |
ある時、家族でノースショアにキャンプに行きました。その時には時計を見ることをやめてみました。お腹がすいたら食べる、目が覚めたら起きる、眠くなったら寝る、そしたら、なんだか自由になったような、とてもリラックスしたのを覚えています。
私の長男がハイハイを始めたときのことを今でも覚えています。そして歩き始めたときのことも。小田原の近くの梅林の中で、一生懸命に歩き始めました。そんな時、周りの子供より速いという事だけで、安心? するような変な気持ちを持ったのを覚えています。しかし、知り合いにリハビリの仕事をしている人がいました。彼が言うには、ハイハイは出来るだけ長くした方がいい、速く歩き始めない方がいい、それは、ハイハイによって必要な身体の筋肉が発達するから、と言うのです。当たり前のように、速いことは良いことだと思っていた私にとって、その言葉は驚きでした。 | そんなこともあってか、単にズボラなのか、私の家では、トイレもゆっくりでした。充分に出来る能力が備わってからトレーニングを行ったので、比較的すんなりと出来るようになりました。
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人間は、段階を経ながら成長します。段階を飛び越すことは出来ません。いきなり、三段飛ばしは出来ないのです。特に、3歳までの期間の「基本的信頼」という人間が生きていく上で最も大切であり、存在の基礎になる段階を飛ばしてしまうと、後でやっかいなことになります。 | あるいは、次の自立の段階もそうです。この時期は、自分を確立する時期でもあります。この時期には他人への配慮は二の次になります。まず自分が充分に満たされる時期なのです。公園の砂場で、お母さんが、常に自分のことよりも、「友達に貸しあげなさい」というような扱いをし、しかもそれが良い子ね、優しい子ね、と言われてしまうなら、子供は満たされない心を持ったままです。満たされていないと、当然与えることは出来ません。そして次の成長段階である、主体性を持つことが難しくなります。この時期は、自分をしっかりと持ちながらも、他者と共に生きることを学ぶ時期なのですが、他者に与えることが出来ません。そこで何て自分中心なのかと叱られます。ここでも無理矢理に与えるということをされます。そしてまた良い子と言われます。
子供は、満たされない心を持ったままです。 | 「ゆっくり」という意味は、子供の成長のスピードに合わせるということです。世間の評価や流れのスピードは子供には速すぎるのです。 私の次男は、四人の子供の中では、言葉も何もかもが速く出来ました。それが彼のスピードだったのです。しかし、次女は予想に反して、とてもゆっくりです。それが彼女のスピードなのです。それでいいのです。
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じっくり |
子供をよーく目を凝らして見てあげましょう。私は、今茶道を習っています。一杯のお茶を飲むために、一体どれだけの時間をかけるのでしょうか? 一分で済むことを、数時間もかけて行うのです。たった一杯のお茶のためにです。今の時代と正反対を行くものです。最近ファーストフードに対抗して、スローフード、スローライフという言葉が使われますが、お茶は、まさにスローフードの代表だと思います。
車に乗っていては絶対に見ることの出来ない世界です。私たちは、まるで車の窓越しから子供を見ているような時があります。忙しくて、急いでいて、焦っていて、でも子供をじっくり見る、とても大切なことです。 | 子供は、何を感じ、何を求め、何で泣いているのか、何で怒っているのか? 子供をじっくり見たら分かります。子供は目の中に入れても痛くありませんから、これ本当です! 子供は、親が自分を見ているかどうかを実によく観察しています。私の家の子供たちも、ある時期「見て! 見て!」コールが始まることがありました。とにかく、こっちと話していると、あっちが「見て! 見て!」と来ます。ちょっとでも目をそらすとやり直しです。 子供にとって、親が自分を見ている、これは大きな安心なのです。しかもただ、眺めているのではない、じっくりと見つめているのです。もちろん、その目は、慈しみに満ちた目です。 私は、よく子供を膝の上に乗せて目を見つめました。そして「パパの目の中に、誰がいる?」と尋ねました。そうすると「**がいる!」と大喜びで答えてくれます。一日の中で、一度は子供の目をじっと見つめてあげてください。そして「愛しているよ」と伝えたら、それだけで子供はフワフワになります。
じっくり見ること、それは我が子だけを見る、つまり他人と比較しないということでもあります。我が子から目をそらさないように。 | 比較が始まると、ゆっくり出来なくなります。私の長男は、とても健康で元気でした。今でもそうです。幼稚園の頃、長男は3月生まれで身体も小さい方でした。しかし、長男だけを見ていたら、その小ささが分かりません。ですから何も問題を感じません。 なぜか長男は、その幼稚園で一番大きな子と親友になりました。その子と一緒に遊んでいる姿を見ると、一際小さく見えるのです。親も焦りを感じました。もっと食べなさい、もっと牛乳を飲みなさいと、思わずプレッシャーをかけてしまいました。そんなプレッシャーは、百害あって一利なしです。何のプラスにもなりません。 我が子から目をそらし、世間の比較の中に入れてしまうと、とたんに別の世界が拡がっていくようでした。 我が子から目をそらしはなりません。
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子供は育つ |
子供は育ちます。子供は成長するように造られているのです。つまり、神は、子供の中に成長に必要なものを与えているのです。私たち親は、それに信頼して親の役目を果たすだけです。
子育ても同じですね。子供の中には、すでに成長する力が備わっているのです。親がどれだけ頑張っても、それで身長が伸びるわけでも、髪の毛が生えるわけでもありません。それらは、神が人間が生きるために必要なものとして備えてくださったものなのです。 | 私たちは、まずその神に信頼することです。子供は成長するように神に造られているのです。親が出来ることは、水や肥料を与えること、日照りや冷害、嵐から守ることです。 さて、子供が育つ一番の肥料は何でしょうか? それは愛情です。これは「基本的信頼」の部分で詳しく学びますが、愛情が注がれると、子供はぐんぐんと成長します。愛情は最高の水であり肥料です。でも与えすぎると逆に枯れてしまいます、あるいは腐ってしまいます。過干渉、過保護といったものです。適度にあげることです。愛情の注ぎ方についても後日詳しく考えてみましょう。
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さらに守ることです。子供は、愛されていること、そして守られていることが必要です。子供は一人では生きていけないから子供なのです。お母さんのお腹の中から出てきた時、初めての世界です。自分の力では生きていけません。とても不安なはずです。そこで、子供は守られている、という安心感を得る必要があるのです。 | 自分が守られていると分かると、子供は安心感を得ます。そしてやがて力がつくと、自分から外に飛び出していきます。そのためには、ハグを大切に。ハグばかりしていると甘えて自立ができなくなると、一昔前の育児書には書かれたこともあったそうです。あるお母さんは、抱きたいのを一生懸命に我慢して、泣いている我が子をハグしなかったそうです。しかし、それは逆効果となりました。ハグされ、愛情と守りを確認した子供は、安心して自立できるのです。 さて、子供が育つ一番の肥料は何でしょうか? それは愛情です。これは「基本的信頼」の部分で詳しく学びますが、愛情が注がれると、子供はぐんぐんと成長します。愛情は最高の水であり肥料です。でも与えすぎると逆に枯れてしまいます、あるいは腐ってしまいます。過干渉、過保護といったものです。適度にあげることです。愛情の注ぎ方についても後日詳しく考えてみましょう。 また、子供の成長をサポートするためには、期待することです。農夫は、種を撒く時には、大収穫を期待して蒔きます。その期待が、種に伝わるかは別にし、子供には伝わります。 ただ、その期待が親の押し付けであっては、逆効果です。きゅうりの苗に、ナスの実を期待しても、困ってしまいます。
私たちの期待とは、我が子は、必ず素晴らしい実を人生に結ぶだろう。その実は、その子供らしい、この子供にしか結べない実であり、親が決めるものではなく、種自体である子供が決めるものだということです。 | そして、子供がトライすることに、いつも成功を期待するのです。親は子供の応援団長です。失敗したら一緒に悔しがって、それでも期待は変わらないことを伝えるのです。期待されている子供は、自信を持つことが出来ます。そして何度失敗しても、たくましく何度もトライしていくことができるようになります。 基本的に、子供は成長するように神に造られているのです。親から愛され、守られ、期待されている子供は、健康的に成長します。
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ということは、神は、私たちを子供として、子育てをされているということです。私たちは、神の子供として育てられているのです。 ゆっくりと、じっくりと、子供は育ちます。 文:関 真士
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