子育ての目標(ひよこ03)
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 前回は、子育てというものを「神の創造」という事実の上に立って行うことについて述べました。それに対して、進化論の特徴と問題点を指摘しましたが、私たちが目の前の我が子の存在、そして親である自分、この存在の誕生と出会いを偶然と理解するか、必然と理解するか、創造と進化のどちらに立って子供を育てるかで、子育ての方法も価値観も大きく違ってくることを説明しました。 今回は、もう一歩踏み込んでみたいと思います。神は天と地と、それに動物も植物も創造されましたが、人間を創造された時だけ、他にはないものを与えられました。 創世記一章二七節に「神は、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造した。」と書かれています。 人間だけが「神のかたち」に造られたのです。ですから、我が子が神に創造された必然の存在である、ということからさらに進んで、今回は、しかも「神のかたち」に造られたのだ、ということを考えてみたいと思います。 |
「神のかたち」とは? |
この「神のかたち」とは、人格のことです。人格とは、人が自分で考え、自分で判断し、自分で選択し、その結果を得るという主体性のことです。それに性、感情、言葉も人格の一部として考えることが出来ます。 | 私たち人間は、神のかたち、つまり人格的存在として創造されたということです。 あなたは、人格的に生きているでしょうか? この問いの言葉を言い換えると、あなたは、神に造られた者としての、歴史上たった一人の自分を生きているでしょうか? ということになります。 自分で考え、判断し、選ぶ、そこには選んだ結果が生まれます。それが自分の人生であり、生きていることです。これは当たり前のように思えます。しかし、その当たり前の生き方ができない時、私たち人間は最も痛く傷つくのです。
何をするにも目標が明確である必要があります。
|
さて、まず子育てには、ゴールがあるということです。つまり終わりがある。個人差はあるにしても、18歳、成人、大学卒業時などを考えると遅くとも22歳頃までには終わりたいものです。18歳でも早過ぎることはありません。 | いずれにしても、終わりがあります。いや終わらなければならないのです。現代の問題は、子育てが終われない、親が子供を自立させない、あるいは子供が自立しない、という問題なのです。子育てとは、一人の人間の人生の限られた一期間に、親という立場で関わることなのです。あくまで一期間なのです。 私たちが、この子供を育てることが出来るのは、18年そこそこしかないのです。子育ては、楽ではありませんね。悩むことが多々あります。でも、手をかけ、思いをかけ、十分に悩み、子供と向き合って子育ての苦労をしっかり受け留めていくと、その時がきたら、子育てを終えることが出来るのです。しかし、それを十分にしていないと、逆に何年経っても子育てを終えることが出来ない、ということにもなります。
そこで、肝心な目標ですが、皆さんはどのように考えておられるでしょうか? ここで二つを明確に区別しておく必要があります。それは子供が自分で持つべき目標と、親が子育ての目標にすることです。この両者を混同してはなりません。例えば、将来の職業は? 学校は? 学部は? 趣味は? スポーツは? 住む所は? 等々。 これらは、子供が自分で見つけ出す目標です。 | それでは親の目標は? それは、子供が自分で考えて、判断して、選ぶ、つまり人格的に生きることです。もっと簡単に表現すると、子供が自分の人生を生きることなのです。それを自立といいます。
子育ての目標は、人格的な自立です。これが目標です。ということは、例えば、どんなに親の設定した目標通りに、子供が育ったとしても、子供が自分で考え、判断し、選ぶことが出来なければ、それは決して成功とは言えません。
|
人格の抑圧 |
現代、特に日本社会における子供を取り巻く事件の多くは、この人格という言葉をキーワードに解き明かすことができます。
「あなたのその考えはだめです。考える必要はありません。私と同じように考えなさい」 | 「あなたが良いと判断していること、その判断は認めません。私の判断に合わせなさい。」 「あなたが選らんだこと、行動しようとすることを、今すぐやめなさい。私の言う通りに行動しなさい。それ以外の選択は認めません。」
|
これでは、人間ではなく、もはやロボットです。 | 子育ての目標は、人格の自立であって、親の人格に子供を合わせることではありません。大切なのは、子供の人格を育てることです。 子供にとって、いや人間にとって最も幸せなことは、自分の人格が尊重されるということです。逆に最も辛いことは、人格が否定されることです。 子育ての目標が人格の自立なら、子育ての内容は、まさに人格を育てることなのです。このひよこ会を通して、どうしたら、子供の人格が育つのかを一緒に学んでいきたいと思います。
それでは、人格の抑圧についてもっと考えてみましょう。人格の抑圧の手段としては、洗脳方とマインドコントロール型があります。 | 洗脳とは、強制的に相手の人格を支配することです。多くの場合、恐怖感で相手を支配します。「言うことをきかないと裏山にすててしまうぞ」「もう一度やったら、今度はもっと強く叩くぞ」「言うことをきかないなら、あんたはもううちの子供じゃない」などと、子供を不安にさせることによって、親に従わせようとすることです。この場合、子供の心には親からの拒絶感、恐怖感しか残りません。子供に希望を与えるような肯定的なものは何一つありません。 あるいは、恐怖感までいかないにしても不快感です。親が子供を叱り諭すのではなく、ただ怒るのであれば、子供の中には怒りの感情しか伝わりません。理論と感情、どちらが相手に伝わるかといと圧倒的に感情が伝わります。 子供は、怒りという感情に反応し、その不快感から逃れるために「ごめんさない」を言います。いや言わされます。しかし、なぜ怒られたのか何も理解しません。ですから当然同じことを繰り返します。親はあれだけ言ったのに、なぜ分からない?! ともっと怒ります。すると子供はもっと分かりません。悪循環です。 子供が、自分で考え、判断し、納得して反省したのではないからです。
このように、怒りや、恐怖、不安によるアプローチは、人格を抑圧することになります。 | もう一つは、マインドコントロール型です。これは、洗脳型とは正反対です。前者がムチなら、こちらはアメです。このケースで多用されるセリフは「あなたのために」「愛しているからこそ」です。ここでは先回りや代弁が行われます。 先回り。子供が考え、判断し、選ぶ前に、親がすべてを決めて先回りして、それしか選べないように状況を作ってしまうことです。ですから子供は自分で選んだと思っています。
|
代弁。子供が話す前に、親が代わりに話してしまう。「坊やいくつ?」と聴くと、隣の親がすぐに「何歳です」と答えてしまう。これは親が子供の言葉(人格)を奪ってしまうことになります。 | そして「あなたのために」といいながら、子供の人格を支配します。ある作家が「愛とは限りなく、奪うものだ」といいましたが、これは、まさに奪う愛です。もちろん真の愛ではありません。 愛されて心を病む人はいません。しかし奪う愛で愛されると、愛されれば愛されるほど、心が病んでいきます。ある本のタイトルに『愛という名の支配』とありましたが、まさに世相を現しています。 愛するとは、その存在の人格を尊重することです。そのためには、親自身の愛という名のエゴを始末し真の愛を持たなければなりません。
|
さらに付け加えるなら、日本の社会全体が人格を抑圧する文化があるということです。島国日本では、集団の和を保つためには、個人の人格を抑圧してしまうという欠点があります。例えば、日本では企業が不祥事などを起こした場合、記者会見などで決まって言われるセリフが「世間をお騒がせして申し訳ありません」といものです。何が悪いのかというと、世間を騒がせた、つまり和を乱したことなのです。日本の社会では、周りに合わせて自分の考え(人格)を抑えることができて初めて大人になったと評価され、もし堂々と皆と違う意見を述べたりすると大人気ないと言われてしまうのです。 | それに対して、欧米では自分の意見をはっきりと言えない人は、心の病とみなされ、カウセラーを紹介されます。ある方が、アメリカ人の小学校一年生の子供は、大統領の前でも自分の意見を述べることが出来ると言っていましたが、確かにそうだろうと思います。ただ、以前私がカリフォルニアに住んでいたとき、日本人である自分は、そのようなアメリカ人の子供に会うと「生意気」と感じていました。子供は大人の自分に合わせるのが当たり前だと、どこかで思っているのです。
この文化の違いは、やはり聖書から来るのだと思いますが、いずれにしても、人格が抑圧されることは人間にとって最も辛いことです。 | なぜなら人格は「神のかたち」だからです。 日本で「良い子」が事件を起こします。でもその良い子は、親から、世間から見ての良い子です。 つまり、それだけ人格を抑圧し、周りに合わせて生きてきたのです。しかし、神に造られた人間である以上、自分を生きること、自分を表現することを求めて続けているのです。ボールを水の中に強く沈めれば沈めるほど、勢いよく飛び出すように、人格は抑圧されればされるほど、爆発的に飛び出してきます。それが切れるということです。
|
|
子育ての鍵は、いかに子供の人格を尊重し、育てるかということに尽きます。それは、どれだけ正しく愛することが出来るかということでもあります。これも本のタイトルですが『愛し方の分からない親たち』というものがありました。愛はあっても、愛し方が分からない。 | 子育ては、親育てとも言われます。私たち親も子供と一緒も育っていきます。そこで親として最も学ぶことは「愛し方」です。これは親に限らず、人生の学びともいえますが、子育て学の最も大切な学課です。
子育ての目標は、人格の自立。 子育ての内容は、人格を育てること。
ここで大変重要なことは、子供の人格は未成熟である、ということです。ここが他の大人と接するときの一番の違いです。子供の人格は未成熟であるために、親の人格でそれを補っていく必要があります。2歳の子供が、ナイフを使いたいと言っても、人格を尊重して渡すわけにはいきません。 | まだ考えも判断も選択も未熟なのです。逆に15歳の子に、ナイフは危ないから使わせないとしたら、過保護のように気がします。15歳の子は、それをどのように使用するか、その危険性などを考えた上で判断していると思うからです。 生まれたばかりの乳児は人格自体はありますが、しかしまだ種のような段階です。ですから親の人格で補うのです。乳児に、何が食べたいのか聞いても答えは泣き声しか返ってきません。ですからの親の方で判断するしかありません。でも10歳の子には、何が飲みたいのか尋ねると答えが返ってくるはずです。もし、分からない、どっちでもいい、お母さんが決めて、という返事が返ってきたら、どうでしょうか?
|
0歳の新生児のときは、子供の人格はゼロ、親の人格が100です。それがだんだん比率が変わっていきます。約18年かけて、子供の比率が高くなり、親の比率が低くなります。そして子供が100、親がゼロになって、子育てが終わります。 | 子育ての勘所は、この比率の変化にどう対応するかということです。つまり親としては、母親と子供のへその緒が切られた瞬間から、子供をいかに自立させるか、手放していくかということなのです。手放すのか早すぎても、遅すぎてもいけない、またそのタイミングは個人個人みな違います。 しかし、そんなに難しいものでもありません。なぜならこれは、神の創造の秩序だからです。子供は自立するように成長します。親は、十本の指で握っていた手を一つ一つ開いていけばよいのです。 子供の前でいつも両手を広げていましょう。いつ飛び込んできてもハグできるように。そしていつ飛び立っても手放せるように。 次回は、胎児の人格について学んでみたいと思います。 文:関 真士
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|