胎児を祝福する(ひよこ04)
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| さて前回に続いて、人格をキーワードに、子育ての勘所を探っていきましょう。 子育ての目標は? ここでは「人格の自立」と定義して話しを進めていきます。ですから子育ての内容も、「人格を育てる」ということになります。文字に書くとシンプルですが、内容は、相当に深いものがあります。 掘れば掘るほど、宝物がざくざくと出てきます。ご一緒に宝探しにでかけましょう。 それでは子供の人格を尊重し、人格を伸ばすために、誕生の瞬間から順序だてて学んでいきましょう。 |
胎児は人間 |
まず、人間の存在は生物学的には、受精の瞬間から始まります。それが医学、法律、思想によって変わってくることもあります。時代や国によっても違いがあります。 | さて、聖書的にはどうでしょうか? 「神はわたしたちを世界の基の置かれる前から彼(キリスト)にあって選び、御前で聖く、傷のないものにしようとされました。」(エペソ1・4) 私たち人間は、受精の前から、神の御前に存在していたのです。神の時が満ちて、今ここに、この母の胎内に、神が命を与えられたのです。
私は百パーセント、胎児が神のもとから来たことを信じています。ですから人間がその寿命を終えたとき、神のもとに帰ると言うことができるのです。
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心理学者は、私たちの傷を癒すために、過去に目を向けます。それも必要なプロセスではあります。しかし、もし聖書が述べているように、人間の存在が受精以前に神のもとにあったということであるなら、私たちは、帰る場所があるということです。そうです魂の故郷です。 | よく、クリスチャンになって、父なる神との関係を回復すると、「故郷に帰ってきた」という感覚を持ちます。それは、私たちの一番深いところの魂が、もともと自分は神のもとから来たのだ、ということを知っているからでしょう。 さきほどの聖句には「私のために作られた日々が、しかも一日もないうちに。」と書かれていました。つまり、自分の人生がまだ一日も始まっていない時に、すでに神は自分を知り、見ておられた、それは神に愛されていたということです。 人生は、山あり谷あり、色々あります。人生の書物にはたくさんのことが書き込まれていきます。でも私たちの存在は、神の愛から始まっているのです。私たちの存在に最初にあったのは、神の愛なのです。どうせ帰るなら、そこまで帰りましょう。そこには、確かな愛があるからです。
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胎児の人格 |
胎児が人間であるなら、胎児もまた神のかたちに造られたものです。ですから胎児にも人格があります。もちろん未成熟ですが、潜在的な人格を有しています。子供の人格を育てるということは、胎児の時から始まっています。
ある調査によると胎内での記憶を話す子供、特にやっと言葉を覚えたばかりの三歳から五歳児に限られていますが、四二パーセントの子供に誕生の記憶が、53パーセントの子供に胎内の記憶があったと報告されています。 | 妊娠五ヶ月あたりで、胎児の脳細胞はすべて育っていると報告されています。またその頃には知情意が備わっているとも言われます。 そこで胎児に、美しい音楽を聞かせたり、話しかけたりする胎児教育ということが言われ始めました。胎児の人格を認めることは素晴らしいことですが、胎児の時から受験に備えるなどというナンセンスな胎教が行われたりすると困ります。
胎児の危機 |
胎児にとっての危機が何度かあります。まず受精時、性別が分かった時、産まれた時です。
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性別が分かったときの反応も胎児に大きな影響を与えます。 | よくあることかもしれませんが、男の子がいい、女の子がいいと言います。でも言われている本人からすればどうでしょうか。性別は自分で選んだものではありません。性とは神が定めたものであり、それも人格の一部なのです。性を否定することは人格を否定することになります。大人は気軽に、男がいい、女がいいと言いますが、言われている胎児にとっては大問題です。 ある30歳代の男性は、自分は女であると思っています。その感覚に悩み、逆に極端に男性らしく振舞いますが、何か不自然です。 彼は次男として産まれました。両親は二人目は女の子を望んでいました。しかし期待に反して男の子でした。両親は名前も、ベビー用品も女の子用しか用意していませんでした。なんと名前も女の子の名前、そして女の子の服を着せられていました。
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産まれた時の対応も大きな影響があります。新生児は、初めて外の世界に出てきた不安で一杯です。だからこそ、愛情をもって受け入れられることが必要です。そこで、もし性別のゆえに、あるいは望まれない妊娠であったため、胎内から出て初めて受けるものが、失望、落胆、ため息であったとしたら、当然、その子は存在不安を持つことになります。 | 「あなたがいない方が私は幸せ」「あなたが女性である限り、私はあなたを受け入れない」「えー!あなただったの?!」相手にとって、自分が自分であることが失望、落胆の原因とされたら、目の前で存在が無視されたら、死にたくなるくらいのショックです。大人でもそうですから、無垢な胎児の受ける影響は計り知れません。 あるいは胎児の時期に、母体が大きな危機にさらされた、精神的なショックがあったなどということも影響があります。 胎児は、言葉が伝わらない分、言い訳が通じません。ちょっといい間違えたとか、そんなつもりじゃなかったとか、通じないのです。そこで感じたままを、白紙の紙に文字を書くように、そのままを受け取るのです。
ここまでは否定的なケースを書きました。暗く重たくなるような感じがします。妊婦は、薄いガラスの上を歩いているようなものだ、とある心理学者は言いました。それくらいに精神的にデリケートな時期であると。そんな時期に、いつも胎児に肯定的な影響を与えることは、ある意味で無理なことです。少なからず、私たちは胎児に伝わらないで欲しいということを考えたり、言ったりしてしまうものです。 | しかし、程度があります。先に書いたような極端なケースは知識があれば避けることのできる場合もあります。学ぶことによって不必要な失敗をしないで済むこともあります。 さて、しかしすでに産まれている場合にはどうしましょう。
胎児の癒し | 我が子が産まれてしばらくして、胎児の時期のことを冷静に振り返ることが出来るようになるかもしれません。そんな時、もし胎児の存在や心を傷つけるような何かを思い出すようなことがあったとしたら、その時点で、子供のために癒しを祈ることが出来ます。
まず胎児が受けた情報が、その心に書き記されているとするなら、その情報に上書きして、新しい情報を書き記すことが必要です。
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例 妊娠が判明した時、失望した。 | 「エペソ1・4を読む。あなたは神に選ばれ、造られた子供です。神も、この全世界も、あなたの誕生を望み、喜んでいます。あなたは愛されている子供です。私も***(子供の名前)の親であることを心から喜びます。産まれてくれてありがとう。今、私が不用意に発した言葉、思いを主イエス・キリストの御名によって破棄します。 神様、あなたが***を私に子供として与えてくださったことを感謝します。今、***を神の愛で満たしてください。存在の不安や恐れ、悲しみがあったら、今神の愛で包んでください。存在の喜びで満たしてください。私も母(父)親とされたことを喜びます。私にとって***の存在は喜びです。今主イエス・キリストの御名によって***を祝福します。 主に癒され、すべてが益に変えられたことを感謝します。 主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン もちろんこの通りの言葉ではなくても、自分の言葉で祈ってください。要は、以前の否定的な言葉を破棄して、新しい神の祝福の言葉に変えるということです。
胎児を祝福する ―最高の胎教― |
胎児を祝福することは素晴らしいことです。 (マタイ1章41、44節)
ここでは、胎内で子供が喜び踊っている、というのです。なんて素晴らしい瞬間でしょうか。それは、マリヤの挨拶が耳に入った時とありますから、胎児は母体を通して声が聴こえているということです。 | マリヤの胎内にはイエスがおられます。ですから、胎児のヨハネは、ここで胎児のイエスに出会っているのです。 最高の胎教は、母親がイエスと交わることです。御言葉と祈りと賛美の中で、母親自身が恵に満みたされていることが、胎児には最高の胎教です。 妊娠中は、母はもちろん、父親も共に、胎児にむかってイエスの御名によって祝福を祈りましょう。イエスの御名によって祈るたびに、胎児は喜び踊るのです。 文:関 真士
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