HCC ひよこ05

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基本的信頼を築く(ひよこ05)
 子育てにおいては、目標とプロセスが大切です。子育てとは、さながらフルマラソンを走るようなものです。といっても私にはフルマラソンの経験はないのですが。
 ゴールがどこにあるから分かっているから、今はどの辺にいて、ペースを落とすとか、上げるかとか判断するわけです。ゴールが分からないレースは有り得ません。
 ゴールによって、今のあり方を判断していきます。
 子育ても、つまり人格の自立ということをゴールにしていますから、その過程も人格を育てるということになります。これをキーワードにしながら学びを進めていますが、はやくより具体的な内容に入っていきたいところですが、ゴールに向けて基礎をしっかりと学んでいきたいと思います。まず子育ての基礎的な全体像を三つの骨格のようにして、学んでいきます。
写真・ひよこ
     
  • 基本的信頼(0歳〜3ヶ月〜1歳)
  • 自立性(1〜3歳)
  • 主体性(3歳〜7歳)
基本的信頼(0歳〜3ヶ月〜1歳)

 「三つ子の魂百までも」と言いますが、最初の三ヶ月、一年、三年が人格形成の上で決定的に重要だと言われます。この時期に子供は「信頼」を学びます。信頼とは、「信じてより頼む」という意味です。信じるだけではなく、信じた対象に身を任せる、ということです。赤ん坊が抱っこされている時に、落ちないかと心配で必死に親にしがみついているということはないでしょう。全身を任せてきっています。まさか落ちるはずがないと信じて身を任せきっているのです。これが信頼の姿です。
 基本的信頼とは、自分は絶対的に、愛され、守られ、喜ばれているという体験を通して、自分の存在に信頼することです。そして自分の存在を信頼できる人は、他者を信頼する能力が身につきます。それによって、自分を生きつつ、他者と共に生きることが出来るようになるのです。
 この信頼は、その存在の基盤となります。人生の嵐が吹き、足元が揺れるようなことがあっても、基盤がしっかりしているのでびくともしません。
 親としては、子供にこの基本的信頼という基盤を築いてあげたいのです。

 基本的信頼を考えるキーワードは、三つです。
 無条件の愛、一方的な奉仕、完全な肯定。
 愛と奉仕と肯定、これを一言で表現すると「恵み」となります。

無条件の愛

 子供が産まれた時、普通であれば「おめでとう」と言います。そうです人の誕生は、おめでたい祝福なのです。子供が、自分の存在はいつでも「おめでとう」と言われる存在なのだ、自分が存在することは、、周りの人の祝福となり、喜びとなるのだ、と自覚できるなら、この子供の将来は輝いたものになります。
 「新生児」。人の一生の中で、こんな時は二度と訪れません。いつでも、どこでもウンチしてもおしっこしても叱られない。泣きたいときに、周りの状況などまったく考えないで泣きたいだけ大声で泣ける。相手への気遣い、配慮など全くなく、夜だろうと、朝だろうと、泣いたら親が駆けつけてくれる、しかも叱られない。愛想笑いをしなくても、相手に合わせなくても、ただいるだけで皆が喜んでくれる。自分を見る人の顔が微笑んでくれる。どんな偉い人の顔でも平気でべたべた触っても喜ばれる。挨拶しなくても、返事をしなくても叱られない。KYなんて考えたこともない。それでも皆に喜ばれる。自分がいるだけで周囲に平和が訪れる。
 こんなに自己中心で、我がままで、配慮もなく、礼儀もない、それなのに喜ばれる。よく考えると赤ん坊とはすごい存在ですね。

 私も、我が子によだれで顔をベチャベチャにされても、顔をむしられても何とも思いませんでした。長男は口に手を入れるのが好きでした。長女は、いつも私も鼻の穴を広げて中を覗き込んでいました。何が見えるのかいつも不思議でした。次男は顔を食べてようとしていました。次女は、耳タブが大好きでした。自分の顔がおもちゃにされても、嬉しくてたまりませんでした。
 無条件とは、愛するのに条件がないということです。条件付きの愛は、名ばかりの偽りの愛です。
 それには二つあります。

泣く子

 1つは「BECOUSE」の愛です。「あなたが可愛いから、あながたハイと言えるから、あなたが従順だから」
 2つ目は「IF」の愛です。「もし、うまく出来たら。もし、もっと言うことを聞けたら」
 これらは条件付きの愛です。この愛では、子供の内に基本的信頼を築くことは出来ません。
 真実の愛は「IN SPITE OF」の愛と言われます。「あなたが失敗したにもかかわらず。あなたがノーと言ったにもかかわらず」です。

ベビー

 無条件の愛とは、愛する理由をその行いに求めないということです。
 もし、赤ん坊の頃から条件つきの愛情を受けてきたら、つまり性別によって評価されたり、可愛いとかいう外見で評価されたり、面白いことが出来るという、まるで芸人のように評価されたり、あまり泣かないとか、手がかからないとか、親の都合に合わせられるかで評価したりすると、そのような評価が自分の存在の価値を判断する基準となります。そうすると、そのように他者との関係も築いていくことになります。
 無条件の愛とは、行動とは一切関係なく、ただ存在のみを愛し、受け入れることなのです。
一方的な奉仕

 親はこの時期、ひたすら子供に仕えます。まさに奴隷のようです。親自身、自分の人格はどこにいったのかと思わされるほどに、ひたすら子供に尽くします。前回学んだように、子供の人格を親が補うということは、自分の人格を子供に捧げるということにもなります。もちろん、それは自分の人格を否定することとは違います。自分の意志で、子供のために人格を捧げるのです。なにせ、子供はこちらの状況など配慮してくれないのですから。こちらが風邪を引いていようが、忙しかろうが、お構いなしで泣き声を上げてただ要求するのですから。子供は、親の人格を尊重してくれません。
 しかし、この時に親が自分の意志で、自分の人格を子供に捧げるなら、その分、子供の人格は成長し、結果的に後で大いに楽になるのです。
 子供は、この親の姿を通して、自分の存在がそれほど価値あるものであること、生きるために必要なものは全て与えられるという安心感を体験します。これも基本的信頼の一つです。

 この時期、親は子供が泣けば、なぜ泣いているのかを考えます。ミルクでもない、オムツでもない、なぜだろう? どこか痛いのか? 全力で子供の心の声を聴こうします。
 子供が言葉で表現してくれればこれほど楽なことはないのですが、残念ながらそうはいきません。親はこの時期、強制的にカウンセラーにさせられます。「心を聴く」ということを訓練させられるのです。子供の様子をつぶさに観察して、何を求めているのかを察知します。
 初めてのお母さんが戸惑っている時に、ベテランのお母さんが来て、これは「眠いのよ」と一声かけてくれると、本当に名カウンセラーだなと思います。
 夜泣き、というのは大変に辛いことだと思います。幸いに私の子供は四人とも夜泣きはほとんどありませんでした。でも、日本にいた時に、同じマンションの方が、夜泣きに困り果てて、気づいたら子供の首に手を回していた、と言っていました。私たちもギリギリの所を歩むことがあります。いくら何をやっても泣き止まない、寝不足の真夜中、近所にも気を使いながら、精神的に追い込まれることもあるでしょう。
 ちなみに、夜泣きは、ミルクやおむつなど明確な原因がない場合、それは、子供は不安や恐怖感を感じていることが多々あります。

猫

昼間に怖いことがあった。両親が大声で喧嘩している。親から感情的に怒りをぶつけられた、などのケースがあります。また親自身の不安定な心の状態を察して不安になり泣くケースもあります。
あるいは、霊的な問題がある場合もあります。子供は小さいときは、天使も悪霊も見えていると思います。悪霊を見ているなら恐怖で泣くことがあるでしょう。
いずれにしても、イエス・キリストの御名によって、平安と守りを祈ると、嘘のように泣き止んだりします。これは夜泣きに限らず、パニック的状態の時には、なんといっても祈りが助けです。
さて話しを戻しますが、子供はこの時期に、自分の存在を支えてくれる、守ってくれる、生きるのを助けてくれる、自分は大丈夫! という安心感を得るのです。怖い、痛い、痒い、お腹がすいた、おむつが気持ち悪い、など、困った時には助けてくれる、必要なときには満たされる。安心してこれからの人生を歩んでいけると分かるのです。

仲の悪い夫婦

完全な肯定

 私たちは、世の中に出れば、どうしても周囲の評価にさらされます。そんな中である人は、周囲の評価に自分の価値を委ね、常に世間、周囲の評価を気にして生きいくことがあります。
 そのような相対的な価値や評価に捕らわれずに、自分を堂々と生きてくために、この時期に完全な肯定を受ける必要があります。これも基本的信頼の一部です。
 この時期の子供は、何をやっても満点です。バツをつけられることはありません。ただ存在するだけで満点なのです。あくびしただけで、手をばたつかせただけで、ウンチしても、満点なのです。バツがないのです。いい時期ですね。私も赤ちゃん返りをしたくなります。
 この時期に完全な肯定を受けていると、その後にくる世間や人の評価に流されずに、自分をしっかり生きることが出来るのです。

 しかし、もしこの時期に、バツがつけられるようなことがあると、基本的信頼は育ちません。赤ん坊の頃から、他の赤ん坊と比べたり、行動や存在にダメを出していたら、それは、子供の人格にダメ出ししていることになります。
 この時期は、親としても安心してすべてを肯定できるオーケーを出せる時なのです。
 子供がこれから生きていくこの世の中は、どうしてもテストされ、評価される世の中です。丸をつけられることもあれば、バツをつけられることもあります。
 最近の若者は、注意されることに弱いといわれます。一度でもバツを出すと、ドッと落ち込んでしまいます。だからほめてほめて育てようと言われます。もちろんほめることは基本です。でも、時には、注意したり、失敗を指摘したりすることも必要です。

 なぜバツを付けられることに弱いのでしょうか? それはバツが、その限定された行為に対するものとして受け取れないで、自分の存在そのものにバツを付けられていると受け取るからです。
 この時期に存在に対する完全な肯定を受けていないと、自分の存在に自信を持つことが出来ません。条件付きで愛され、いつも行為によって自分の存在が評価されてきた人は、自分の行為にバツを付けられることは、存在を否定されることになるのです。

神の言葉

 この時期に完全な肯定を受け、自分の存在は、どんな時でも、何をやっても、常に丸であるということ、これも基本的信頼の一つです。

 この基本的信頼を経てきた人は、マイナスと見える評価や失敗、バツを付けられることがあっても、さらに成長するチャンスとして、それを人生の糧にすることが出来ます。自分の価値は、キャリヤや実績などの行為で決まるのではなく、自分がここに存在していること、それだけで十分なのだと分かっているからです。
 この基本的信頼の時期については、0歳から3ヶ月、0歳から1歳、0歳から3歳など、人によって意見は様々です。個人差もあり、明確に線引きは出来ませんが、ともかく0歳に近ければ近いほど、この基本的信頼を築くことが大切だということです。

イエス・キリスト

愛されている子供らしく生きる

基本的信頼というと、何か堅い感じがしますが、要は、「愛しているよ〜」と抱きしめて、「生まれてくれてありがとう!」とキスしてあげることです。
  まず私も含めて、先の三つのことを完全に出来る人などいないのですから。
  エペソ書5章1節にこう書いてあります。
  「ですから、愛されている子供らしく、神にならうものとなりなさい。」
  愛されている子供らしく、つまり、あなたがたは神に愛されている神の子供なのだから、ということです。
  愛されていることが分かっている人は、何があっても、なくても、十分に得ていると感じているものです。
  逆に愛されていると感じられない人は、人がうらやむくらいに全てを持っていても、本人は何も得ていないと感じているものです。その得られないものを求めるからこそ、それだけのものを手に入れているのです。

 私たちは、神の子供たちです。しかも愛されている子供です。神は、完全なお方です。私たちを無条件で愛し、私たちの救いのために命をも捨ててくださいました。そして私たちの存在に丸をつけてくださるのです。もちろん間違ったことをすれば、神は、それが間違いだと分かるように厳しく戒められます。でもそれは、バツを付けているのではなく、愛するからこそなのです。
 「その名を信じた人々には、神の子供とされる特権をお与えになったのです。」(ヨハネ1:12)
 私たちが、イエスを信じて神の子供にされた時、神は、私たちに基本的信頼を与えてくれるのです。
 この基本的信頼を一言で表現すると「恵み」と言います。私たち自身がいかに、神の恵みに生きているか、それが最も大切なことです。親自身が十分に恵まれることです。自分の存在が、どれだけ愛され、価値があり、守られ、喜ばれているのか?
 まず自分自身が、神の子供として恵みに満たされること。その時、私たちもまた親として、自分の子供に、基本的信頼を築いてあげることが出来るのです。  
文:関 真士

喜び

ひよこの会
  • 日時;木曜日  第一、第三
    午前9時半〜
  • 会場;HCC牧師館
    (ハワイ大学の近く)
    2207 Oahu Ave. Honolulu、HI 96822
  • 連絡;関 真士 TEL988-4314

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