HCC ひよこ06

HCCJapan.org| 戻る| 小冊子リスト| 集会案内| 写真| ニュース| メッセージ| ボイス|


基本的信頼を築く(ひよこ06)
写真・ひよこ
 子供の成長には段階があります。その形は、右上がりの真っ直ぐな線ではなく、階段のような線になります。子供は竹の子のようだ言いますが、その通りに竹の節のように成長します。
 しばらく成長が鈍くなったように感じる時期がありますが、それは次への成長エネルギー蓄えているのです。そのエネルギーが臨界点に達したとき、一気に次の段階へ移ります。
 その時、親には戸惑いが起こりますが、良く聞くことばは「うちの子最近急に・・・」というものです。急に動き始め、急に口答え、急に生意気に、といった具合です。特に反抗期と呼ばれる時期は、この階段の落差を大きいので、戸惑いも大きくなります。
 しかし、それはとても健康的に成長している印でもあります。反抗期への対応については後日にまわしますが、成長の段階を一段飛ばして登ったりすると、後でその段階に戻らなければならないこともあります。階段の一つ飛ばしは健康にいいですが、子育てにおいては飛ばさないように、一段一段、しっかりと踏んでいきましょう。
    子供の七歳くらいまでの時期は、特に段階を大切にしたいものです。大きく別けて三つの段階があることを述べました。  
  • 基本的信頼(0歳~三ヶ月~1歳)
  • 自立性(1~3歳)
  • 主体性(3歳~7歳)
自立性確立期

 今回は、自立性について考えてみたいと思います。

 さて基本的信頼を築いたら、次は自立性を確立することになります。
 要は、お腹一杯の時には、もっと食べたいとは思わないものです。逆にもうお腹ぺこぺこの時は、思わず人のものまで取って食べたいくらいになります。
 この次の段階では主体性ということを学びますが、それは集団の中で、自分をしっかりと持ちながらも、他者と共に生きていけるということ。それは分かち合うということですが、ギブアンドテイクですね。これは、この自立性が育っていないと難しくなります。

 この自立期の体験が、大人になってから二つの面でトラブルを起こすことがあります。それは、ギブだけ、つまり自分を犠牲にして他者に与えるだけの人。もう一方はテイクだけ、ひたすら奪うようにして全てを自分の者にしようとする人。
 前者の人は、他人のためには尽くすのですが、自分は人から受けることが出来ません。ですから一見とても犠牲的な「良い人」に見えますが、喜びがありません。心はペコペコに飢えています。そして、心のどこかで怒っています。
 この場合は、自立期に自分が満足することよりも、廻りを満足させることを求められ、それが「良い子」として賞賛されたことに原因があります。

 後者の人は、その支配欲、獲得欲が、人や物などに向けられ、常に多くの物を得ていないと、あるいは常に人を自分の支配下に持たないと安心が出来ません。当然周りは「困った人」として見ています。
 この場合も、自立期に自分が満足できなかった、というところに原因があります。お腹がペコペコでいつも飢えているので、人の食べ物まで取って食べてしまいます。そのように満たされたなかった心が満たされることを求めています。
 「良い人」も「困った人」も、根は同じです。どちらも本人の心は満たされていません。
 また前回学んだ基本的信頼がしっかりと築かれていないと自立することは困難になります。
 日本でのことですが、三歳児検診が保健所で持たれました。子供たちがお医者さんに呼ばれていきます。ある子供はお母さんにしがみついて離れようとしません。ある子供は平気で離れていきます。よく見られる光景です。
 ここに三つのことが考えられます。

泣く子

 離れられない子供は、もっともっと基本的信頼を得て安心したいようです。不安があるから外に向かって行くことが出来ません。しかし、これは良い光景なのです。子供はまだお母さんに期待しているからです。お母さんが、周りの目など気にしないで、しっかりハグして一緒に行ってあげたらいいのです。
 平気で離れていく子供は、もう十分に満たされているので、安心してお母さんから離れていけます。
 さて、しかし平気で離れていく子供を見て、ある心理学者が指摘しているのですが、実は平気で離れていく子供たちの中には、もう諦めている子供がいる。実はそれが多いというのです。
 三歳にして、お母さんから基本的信頼を得ることを諦め、外に向かってその安心感を求めていっているのだと、これは考えものです。

満足した子供

自立期の意味

 この時期に子供たちは、自分のものは自分のものということを学びます。そしてまず自分が満足することを体験して、心が満腹するのです。
 大切なのは、十分に満足させ、十分に甘えさせることです。
 こんなことを言うと、本当に大丈夫なの? と心配される方もいるかもしれませんが、お腹が一杯になったら、もう欲しいと思わないのです。むしろ余っているものをあげることが出来るのです。自分の心が十分に満たされているから、他者を思いやったり、助けたりすることが出来るのです。

 自分というものが確立しているからこそ、他者との関係を構築することが出来るのであって、それが不十分だと、相手に合わせて自分がなくなるか、あるいは相手を思いやらないで自分勝手になるかということになります。
 周りの人は全て自分とは違う存在です。周りが三人でも、百人でも、自分というものが変わらずに自分でいられることが大事なのです。
 また、相手の社会的地位や肩書き、外見的なものに振り回されないで、上の人にも、下の人にも、同じ自分であることが大事なのです。
断乳、一人歩き、トイレ

 この三つは、まさに自立期に起こってくる大切な成長の過程ですね。
 断乳について。最近は卒乳という言葉が使われ始めています。断乳は強制的に断つ、というニュアンスですが、卒乳は自然に飲まなくなるということです。
 一つの誤解に、早く断乳しないと、自立しない、甘える、成長が遅くなる、これらは全くの誤解です。ちなみに世界保健総会では、二年以上の授乳を勧めています。
 もし状況や身体が許されるなら子供がもういい、というまで授乳できたらいいのです。これは単に栄養学的なこと以上に、心理的な面においても子供に大きな安らぎを与えるからです。
 一人歩きについて。一歳を前後に一人歩きが始まります。子供の健康に問題がなければ、どんな子供でも遅かれ早かれ歩くのですから、焦る必要は全くありません。むしろ遅いほうが身体に必要な筋肉がついてよいのです。自然に歩きだすのを待って、無理に歩かせる練習などは必要ありません。

亀のようにゆっくりと

 トイレット トレーニングについて。アメリカのある病院の調査によれば、二十七ヶ月以前のトレーニングには十ヵ月を要し、それ以降のトレーニングでは五ヵ月を要したということです。もちろん個人差があることですが、十分に排泄を留めておける身体的能力が育ってから始めても決して遅くはないということです。急がば廻れです。
 小学生でトイレが出来ない子はいないのですから。これも遅かれ、早かれ出来るようになることです。
 まとめると、子供は自然に、卒乳し、歩き出し、トイレに行くのです。そのように神に造られているのです。親は、その成長を手助けするだけです。
 基本は、十分に力が備わってから、ということです。親の方で決めたスケジュール通りに、子供は成長するわけではありません。早い子、ゆっくりな子、それぞれです。その子供の成長に合わせてあげると、実に楽に一人たちが出来るものです。

ゆっくりと一歩ずつ

 子供の成長に合わせるのではなく、親の状況に合わせると、子供に十分な備えが出来ていないので、無理が出てきます。当然なかなかうまくいきません。すると思わず怒ってしまったり、結果的には遠回りということにもなりかねません。
 卒乳、一人歩き、トイレ、これらが遅くて成長にマイナスになることは一つもありません。むしろ早すぎる方が弊害が起こることがあります。
 ゆっくり、子供の成長に合わせて、というのが基本です。
 しかし、どうしても親の状況に子供を合わせなければならないという場合があります。それは親にとっても子供にとっても辛いことですが、例えば断乳が早かったからといっても、その分ハグしてあげて、愛情の言葉をたっぷりかけてあげれば十分にフォローできることです。
 問題なのは、早過ぎたこと自体ではありません。早過ぎることによって、子供は十分な準備が出来ていないわけですから、出来るまでに時間がかかります。当然失敗が多くなります。トイレなどは一番よい例でしょう。その時に、子供を責めたり、怒ったりしてしまうことが問題となるのです。
 ですから親の状況を優先しなければならない時でも、時間がかかることを覚悟の上で、愛情を表現を豊かにしてあげれば問題はありません。

 これら三つのことを通して、子供は自立への道に本格的に入っていきます。その時には、不安で一杯なんだと思います。しかし、その不安を乗り越えるのは、希望です。もっと美味しいものが、もっと違った世界が、自分のことは自分できる達成感が、不安を乗り越えさせます。
 親が出来るのは、その成長を手助けすることです。子供の成長力に信頼することです。

自分のものは
 自分のもの

 ハワイでの子育ての中で、、お母さん方の口から「シェアー」という言葉をよく聞きます。「分かち合う」という素晴らしいアロハの精神です。

 ただ常に「時期」を意識することです。私の高校時代、友人と連れ立ってよく食堂に行きました。その中の一人が、いつも決まって一口くれ、と言うのです。みんなに嫌がれていましたが、お腹ぺコペコの時は、たとえ一口でもあげるのが惜しいものです。
 分かち合うには、それだけ十分に持っていることが前提です。十分に与えられていないのに、「シェアー」というのは酷です。もし、、無理やりに分けさせられることが続けば、その子供は常に「足りない」という感覚を持つことになります。

 「足りない」という感覚を持っているとなおさら分かち合うことは難しくなります。

 この時期は、自分のものは自分のもの、まず十分に自分が満足する時期なのです。
 もちろん、この満足は、欲しいものを何でも買い与えることではありません。自分のものは、自分のものという所有意識を持たせることなのです。
 子供はだんだん集団の中で遊ぶようになりますが、子供が意識できる数は、まず自分だけ一人、次に目の前の人だけで自分を入れて二人、そして次に周りにいる多数というように、その数は時期によって増えていきます。この自立期には、まず自分一人から始まって、目の前のもう一人となっていく時期となります。

  多数のお友達と遊ぶときや、弟妹がやってきたときなど、親としては自分の子供に我慢させたり、お兄ちゃん、お姉ちゃんなんだから、といって持っているものを取ってしまったり、すると満たされない思いだけが残ります。
  ある心理学者が、現代の社会にあるのは「不全感である」と指摘しました。多くの人が「何かが足りない」満たされたない思いを持っている。何でもあるような豊かな時代にあって、常に何かが足りないという感覚があるというのです。
  原因は複数かもしれませんが、その内の一つに、この時期に十分に満足することが出来なかったということがあるように思います。
  この自立期に、自分のものは自分ものとして、十分に満足すると、次に「シェアー」することが出来るのです。

シェアー

甘えることの大切さ

 私たちの多くが、甘えは悪いことと思っていないでしょうか? しかし、あるカウンセラーは、心の問題を抱えた方に、「あなたは小さい時に、十分に甘えることが出来ましたか?」と尋ねることがあります。
 甘えというのは、「恵み」を体験することなのです。「自分で努力しないで、人に頼ってばかりいる人」「何もしないでも、何かもらえると思っている人」 そんな大人がいたら「甘ったれるな!」と一喝されるでしょう。
 でも基本的信頼の中で述べたことを思い出すと、この時期の子供は、まさに「甘えている」わけです。甘えるというのは、自分が自分として存在するだけで、十分に愛され、喜ばれ、与えられるという体験なのです。
 甘えられなかった子供、つまりシェアーが早過ぎたり、早く大人になり過ぎてしまった人は、「何でも自分でやる、人に任せられない。」「倒れるまで頑張る、それでも休めない。」「いつでも緊張している、リラックスできない。」「外見をしっかり見せても、本音を出せない。」「常に強い自分を演じて、弱さを認められない。」といったように、「甘え」とは正反対の生き方をします。でもやがて燃え尽きてしまうでしょう。

人には様々な甘えがあります

 それは自分は、ただ存在するだけで十分な価値があるという「恵み」を知らないからです。
 お腹が一杯なら、分かち合うことが出来る。砂漠で迷い、のどがカラカラに渇いていたら、一杯の水のために人は殺し合うこともあるのです。
 まず自分自身が満たされることです。そうすると、子供は安心して外に向かって歩き始めるのです。

 親も同じことでしょう。自分が満たされていなくて、どうして子供に与えることができるでしょうか? 親自身が甘えることを知らないと、子供を甘えさせることが出来ません。
 親である私たち自身が、まず父なる神に甘えることです。

 「あなたがたは恵みにより、信仰により救われたのです。」(エペソ書2章8節)  

文:関 真士

  • 日時;木曜日  第一、第三
    午前9時半~
  • 会場;HCC牧師館
    (ハワイ大学の近く)
    2207 Oahu Ave. Honolulu、HI 96822
  • 連絡;関 真士 TEL988-4314

★どなたでも、ご自由にご参加出来ます。
ひよこの会