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ことば それは人格
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人格とは、自分で考え、判断し、選ぶとい主 体性のことです。その考え、判断、選択が「ことば」と「感情」を通して表現されるのです。
ですから「ことば」は人格そのものであり、人格を表現するものなのです。
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「はじめにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。」
(ヨハネ1章1節)
「ことば」は、単に情報を伝えるツールだけではありません。例えば、私が「こんにちは」と言う場合。そのことばに私の人格があります。同じ「こんにちは」でも、その音の高さ、声の大きさ、目つき、顔つき、イントネーション、リズム、スピード、私の内にある相手に対する全てがそこに表現されます。相手は、その「こんにちは」を聞いて、自分は好かれている、嫌われている、この人は今忙しいんだな、何だか悩みがありそうだな、身体の具合が悪いのかな、機嫌がいいな何かいいことがあったのかな…、といった具合に、ことば一つに、その人の人格が現されるのです。
これがもし、ロボットから機械の音声で「こんにちは」と言われたら、おそらくそこに先ほどあげたようなものは何も感じないでしょう。それは相手に人格がないからです。
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ことばは、自分の内側にある人格を表現するものです。ですから、内にある考えと、ことばの表現が違うということは、本来有り得ないことなのです。
しかし、私たちの人格が傷ついている時、思っていることと、ことばとが違ってしまうことがあります。それを私たちは「嘘」と言います。
なぜ嘘つくことがいけないのですか? それは、本来一つであるはずの、言葉と人格が分裂することになるからです。もっと言うと人格は神のかたちですから、人格を傷つけることは、神の栄光を傷つけることになるからです。
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本音と建前と言いますが、人格的に生きることが出来ていない人は、例外なくことば二つに分かれています。つまり内側にある本音と、外側に表現される建前という二つにことばが分裂してしまっているのです。
そのような状態で、健全な人間関係を持つことは不可能です。ことばは人格そのものですから、関係がうまく行っている時は、ことばもツーカーです。何を言っても伝わります。
しかし一度、関係が壊れるとことばも壊れます。今度は逆に何を言っても伝わらなくなり、そんな意味で言ってないというセリフが多くなります。
人間関係はキャッチボールです。ボールは一つのはずです。それが二つも三つもボールがあったら、キャッチボールは出来ません。
人格的に自分を生きている人は、ことばも一つです。それは自分に対しても、他者に対しても偽りのない生き方です。
人格的に生きることは、自分のことばを持つということです。自分で考えたこと、判断したこと、選んだこと、感じたことを、ことばで表現するのです。
人格が抑圧されている人は、ことばも抑圧されています。自分の本当に思っていることをことばで表現できません。相手に合わせたことばしか話せません。
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人格が暴走している人は、ことばも暴走しています。相手がどうであれ言いたい放題です。人が傷つくことなどお構いなしに暴言を吐きます。
子供のことばを育てるということは、その子供が本当の自分を生きるために必要なことなのです。
ただし、このことばを育てるということは、いわゆる早く話せるようにとか、小さい時から漢字の書き取りをしたり、外国語を学ばせるということとは全く違う次元の話になります。
ここで学びたいことは、自分という存在をことばで表現することの大切さです。
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ことばを 育てるために
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ことばを育てるためには、二つのことが必要です。それは語りかけることと、聴くことです。
しかし、語りかけることと、聴くこととは、いつもセットです。聴きながら語るということでしょうか。聴いていないと語ることが出来ません。
まず子供は、最初は自分のことをことばで表現することができません。ですから、親は、子供のことばを育ててあげることを必要になります。
さて、それではどのようにして子供のことばを育てることが出来るのでしょうか?
私たち大人もそうですが、自由にことばを出せる相手と、ことばが詰まり、あるいは無口になってしまう相手と、それは何が違うのでしょうか?
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自分の表現したことばが理解され、受け入れられ、喜ばれるなら、いくらでも話たいと思います。
しかし、このことばを言ったら、怒られるかも、どんな評価をされるか、どうしたら自分が受け入れられるか、などと考えたら、緊張してことばを出せなくなります。
そこで具体的に考えてみましょう。
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@親の感情で応答する前に、まず子供の感情を受けとめる。
【例】
- 子供「今日、**ちゃんがボクの大事なカードを取って破っちゃたんだ。もう**ちゃんなんか嫌い、一緒に遊ばない!」
- 親「そんなこと言っちゃだめでしょ! 誰とでも仲良くしなさいって言っているでしょ。」
- 子供「だって**ちゃんなんか嫌いだもん」
- 親「お母さんの言うことがきけないの? 友達と仲良く出来ない子は、お母さんも嫌いだよ!」
子供はこの短い会話の中で、二つのことを学習することになります。まず本当の感情をことばで表現したらいけない、それはお母さんに怒れることだ。もう一つは、お母さんのいうことをきかないと嫌われてしまうんだ、ということです。
お母さんに怒られないため、嫌われないために、本当のことを言ってはいけないと学習します。
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もし次のように話せたらどうでしょうか?
- 親「そうなの、大事なカードを破られて、それは悲しいよね、怒って当然よ。」
その次に子供は、どのように答えると思いますか?
- 「よし、怒って当然だから、今から仕返しに行こう。」
「そうか、じゃあ一生恨んでやろう」とはならないでしょう。
子供は、自分の感情が受け入れられ、理解されたので満足です。おそらく次の日には、ケロッとして**ちゃんと遊んで、また喧嘩して、また遊んで、そうして貴重な体験を積んでいきます。
そして、何を話しても大丈夫だという体験を通して、自分の思っていることをことばで表現できるようになっていきます。
A親は評価するより、共感する。
【例】
- 子供「今日、ボクね、サッカーでゴールを決めたんだ。すごいでしょ!」
- 親「そうか、あそこで右に蹴れば、もっと簡単にゴールできたな。練習すれば、もっとうまくなれるぞ。頑張れ!」
- 子供「あーあ…、あんなに頑張ったのに、賞がとれなかった。(絵のコンクールに落選して落ち込んでいる)」
- 親「どんな絵を書いたの? 見せてごらん。、ここは、もっと丁寧に書けばよかったね。次に頑張ってごらん。きっと今度は賞が取れるよ。」
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別に問題のある会話とは思えません。しかし、何かが足りないと感じませんか?
次のような応答はどうでしょうか?
- 親「やった! すごいな! どうやってゴールしたの? それはすごいな! (ここでハイタッチ)」
- 「そうか残念だったね、あんなに一生懸命に書いたのにね、悔しいね。(一緒にため息をついて)
子供が望んでいるのは、一緒に喜び、一緒に悲しんでくれることなのです。評価や分析ではなく、ただ一緒に感じて欲しいのです。この感情の共有があってこそ、次のステップを話すことも出来るのです。
感情の共有のないまま、評価、分析といった対応が続くと、子供は出来なかったときの低い評価、またはなぜ失敗したのかという分析に嫌気を感じ、ことばによる表現に喜びを感じなくなってしまいます。
子供はことばで表現した感情を受け留められることによって、喜びを共有すると喜びは倍になること。悲しみを共有すると、悲しみが半分になることを学びます。そして感情をことばで表現することは素晴らしいことだということを学習するのです。
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B親が期待することばではなく、子供の本当のことばを期待する。
【例】
- 子供「(叱れることをしてしょげている)」
- 親「何でこんなことをしたの!?」
- 子供「…。」
- 親「何とか言いなさい!」
- 子供「…。」
- 親「ごめんなさいは!」
- 子供「ごめんさい」
- 子供「何度言ったら分かるの、もう二度としないと約束しなさい。」
- 子供「…。」
- 親「言っていることが分からないの! 約束しなさい」
- 子供「もうしない。」
親が子供のことばを引き出そうするのではなく、親の期待することばをを言わせようとすると、子供は自分のことばを失います。
つまり、子供が本当に言いたいことではなく、親が言ってほしいことを言わせられている状況です。この場合、子供はことばを発してはいるけれでも、それは自分の本当の言葉ではありません。ですから、いくら約束しても同じことを繰り返します。
親が「あれだけ言ったのに、また同じことをやる」と思ったら、それは子供は一度も聴いていないのだと思ったほうがいいかもしれません。
なぜなら、子供は何がいけなかったのかを理解して納得して謝ったのではなく、ごめんんさいと言わされたからです。
このようなことが繰り返されると、やがて子供は、自分で考えることをやめてしまいます。自分のことばではなく、周囲が期待することばを発するようになります。本当はノーと言いたいのに、相手に合わせてイエスと言ってしまうということになります。
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ことばとは、人格の表現です。ですから、ことばを育てるということは、人格を育てることです。そのためには、何を考え、判断し、選び、そして何を感じているのか、そこを大切にしてあげることなのです。
そして、子供に語りかけるには、子供のことばに耳を傾けて聴かなければ、本当の意味で語れないということです。
子供に語りかける時のポイントは、行動に対して語りけるのではなく、心に語りけるということです。そのためには表面に見える行動よりも、その行動の元になっている心に注目することです。
なぜなら、その行動には必ず理由があるからです。その理由は様々ですし、良くも悪くもあります。しかし、その理由、つまり心を聴くことなしに、いきなり行動を問題にしても、それは庭の草を刈るとの同じで、表面を刈っても根がある限りまた同じように草が伸びるのです。
「なぜ、歯をみがかないのか?」よりは、
「なぜ、歯をみがきたくないのか?」の方が子供は答えやすいと思います。
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特に現在の子供たちは、感情処理能力が乏しいと言われます。感情をコントロールできないで、ひたすら抑圧したかと思うと突然に爆発させたりします。
感情を正しく扱うことは大切です。我慢させたりするのでもなく、感情的になることでもなく、美しく感情を表現する。
この感情処理能力というのは、どれだけことばで自分の感情を表現できるかということなのです。
私は、今とても悲しい。私は、今とても怒っている。などと、どうしても感情的に急に泣き出したり、怒り出したり出来ないことがあります。そんな時に、感情に任せてしまうか、我慢するか、どちらもよくありません。
それではどうするか? 感情をことばで表現するのです。
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そのためには、小さい頃から、ことばで表現したことが受け入れられるという経験を繰り返す必要があります。
それでは子供が悪いことばを使った時、嘘をついた時、間違ったことを言った時、反抗的なことばを使った時などは、どうしましょう?
正しいことばの内容、使い方を覚えることが必要ですから、なおさらことばを発したこと自体を問題にしないことです。
「そんなことを言ったらいけません」よりは、
「なぜ、そんな悪いことばを使ったの? そのことばは、**のような悪い意味のことばだから、それを言われた人は、とっても傷つくんだよ。」と、教えてあげたらいいのです。
子供に、自分の思っていることをことばで表現することは素晴らしいことだと知ってほしいのです。決して怖くない、怒られない、恥ずかしくないのだということを知って欲しいのです。
親が、子供の心を大切にし、心を聴き始めると、子供の内からことばがどんどん育っていきます。
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文:関 真士
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