HCC ひよこ12

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躾けといたずら(ひよこ12)
 「いたずら」何とも魅力的な響きの言葉ですが、いたずらされる方にはたまったものではありません。
 隣の部屋の子供たちが、やけに静かだ…、私の場合は、ヒヤッとしながらも、少しだけワクワクしながら、部屋をのぞいてみます。
 ある時は、四歳くらいの女の子たちが、カーペットの上で水をジャブジャブしながらオママゴトをしていました。気が遠くなるようでした。さすがに、そのままというわけにはいきませんでした。
 さて、しかしいたずらは「探求欲求に基づく行動」であって、子供の人格成長には絶対不可欠なものです。
 理想から言ってしまえば、子供が思う存分いたずらが出来るなら、それは最高に素晴らしいことです。
写真・ひよこ

愛されている子供


 躾けとは、いたずらを止めさせることではありません。それは、相手への思いやりから自分の行動を抑制することを教えることです。その根拠にあるのは、「自分を愛するように、隣人を愛せよ」というイエス様の言葉です。
 いかにして他者を愛するか、それが躾けのポイントです。しかも、「自分を愛するように」とありますから、子供が「自分は愛されている子供だ」ということを十分に自覚できるようにすることです。
 ですから「他人に迷惑をかけない」という言葉で、子供の人格を抑圧して、他人の目を気にして生きるようにさせてしまうことは、躾けではなく抑圧となります。それは結果的に「他人に迷惑をかける」ことになります。
 しかし、人格が尊重され、自分というものが大切にされて育った子供は、他者の人格も大切に、思いやって生きるようになります。
 「自分が愛されたように、他者を愛する」ようになるからです。

 いたずらは、反抗ではありません。ですから禁止したり、叱りつける対象ではありません。むしろ、思う存分いたずらが出来る環境を作ってあげることの方が大切です。
 子供は壁に落書きをします。クレヨンなどで書かれたり、油性のマジックなど使われたら大変です。でも知り合いの方に、壁に何でも自由に落書きをしても良いと育てられた方がいます。きっとその壁は芸術的に素晴らしいものになっているに違いありません。
 またある方は、落書きを落とせる特別な壁紙にして、思う存分落書きが出来るようにしたそうです。
 アフリカのモザンビークで孤児院を運営していたユキさんがいます。彼は内戦で両親を失い、心も身体も傷ついた子供たちと共に生活をしていました。自身も何度も地雷で飛ばされたり、銃撃戦に遭遇したりと、生死の境を生きてきました。
 そんな彼が素敵なストーリーを紹介してくれました。
いたずら大歓迎

 戦闘で負傷した人々への医療活動が終わり、友人と共にくたくたになって孤児院に帰ると、ある女の子が報告をするために待っていました。
 妹のネネが一日前に新しく塗ったばかりのペンキの壁の上に落書きをしてしまったというのです。
 「あ~あ~」
 その瞬間、昨日あんなに暑い中を必死でペンキした努力が水の泡になってしまったことを思い、ネネを探し始めました。
 ネネを孤児の部屋の片隅で見つけると僕は言いました。
 「ネネ~ 新しく塗ったばかりの壁に落書きなどされると、せっかく新しくペンキしたのがだめになって僕は本当にがっかりしちゃうんだよ。もう落書きはしないでね、ネネ~ 分かった?」
 僕はたくさん一人で嘆いたのでした。それが終わると、その悲劇の落書きの場所に足を向けました。
 涙が溢れ出したのは、その壁を見た瞬間です。
 僕の胸は、突き刺されるような思いでした。そこには、大きなハート印の真ん中に
 「ユキ、大好き」と書かれてあったのです。
 ネネに謝って「ネネ、愛しているよ」っと、小さい体をだっこして、そっと抱きしめたのは言うまでもありません。
 そのネネの落書きは、消されずにそのまま残りました。ただその落書きを囲む新しい手製の額縁が付け加えられたのです。

花

 いたずらは、大人には困ったことです。しかし、子供にとっては自己表現の手段であり、あくなき探究心からの行動でもあります。
 そのいたずらの発想は、天才的であり、どんな偉大な芸術家もかなわないものです。
 子供には、もっともっといたずらっ子であって欲しいと思いますし、親は子供がいたずらが出来る環境を整えることが大切です。汚しても、散らかしても大丈夫なように前もってエリアを作っておく、危険なものは手の届かない所に移動しておくなど。
 そう言いながら、私の場合は日本ではマンションを借りていたこともあり、そんな余裕はありませんでした。心にもそこまでのゆとりがなかったようにも思います。
 いたずら歓迎とは、かなり理想的なことかもしれません。でも、少なくともいたずらは、禁じたり、叱りつけたりするものではないことを知っておきたいと思います。
いたずらに
リミットを
設ける

 さて、いたずら大歓迎なのですが、どうしても困ることもあるし、子供にとって危険なこともあります。そこで、いたずらにもリミットを設けることが必要です。いわゆるけじめということです。
 まず明確なのは、子供の身に危険なことです。当然ナイフなどは子供の手に届かない所に置いておくことです。また先の尖ったもの、例えばお箸を手にとって振り回すと目を突くかもしれません。
 次に例えば、ハサミで何でも切ってしまったり、財布のお金やカードをばらまいたり、洗剤をぶちまけたり、それは困る! ということがあります。そもそも、そういったものを手の届かない所に置いておけばいいのですが、実際の生活の中では、スキが生じるのは仕方ありません。
 これらの場合には、やはりいたずらをストップしなければなりません。その時に、厳しく怒ってストップさせようとすると、子供は恐怖感を持ってしまい、自分を表現することに恐れを持つようになってしまいます。
 ストップする時には、それが困ることや大切なものが切られて悲しいことを、親自身が「私は、**されて悲しい、困る」と言葉で表現することなのです。
 重要な手紙が切られてしまったなら、「あなたは、なぜこんなことをしたのか!」と怒鳴るのではなく、「私は、とても困るんだよ」と語りかけるのです。子供には、自分の行動が相手にどのような思いを与えるのかを知って欲しいのです。
 子供が、親に怒られるからしないのではなく、それが相手を悲しませるからしないというように、学んで欲しいのです。そのためには、「あなたは」と言うのではなく、「私は」を主語にして語りかけるのです。親が自分自身の気持ちを子供に理解させることなのです。
 そして、躾けとは、それを何度も繰り返すことなのです。それによって、子供は自分の人格をしっかりと持ちながらも、相手のために自分を抑制することを学んでいくのです。
 それは、子供自身にとっては、苦痛ではなく、むしろ喜びなのです。なぜなら、それは神に造られた人間として、神が意図した生き方だからです。
 つまり「自分を愛するように、隣人を愛する」ことだからです。子供は、神に造られた存在ですから、本当の意味で正しい生き方(神が意図した生き方)は小さな子供でも必ず理解します。そしてそれを行うことに喜びを感じるものなのです。

ピアノ

いたずらと
反抗の区別

 いたずらは、基本的には叱る対象ではありませんが、反抗は叱るべきものです。ですから、この区別をしっかりつけておく必要があります。
 ここで整理したおきたいのは、反抗とは、親の権威に反逆することです。決して自分の考えを表現することが反抗ではありません。リミットを越えたいたずらであっても、それが繰り返されるものであっても、それは親の権威に反逆しているわけではありません。
 あるいは、二、三歳頃には、やたらに「やだ、ノー」という言葉を発することがあります。これも自分の考えを表現しているだけで反逆ではありません。
 ちなみにこの時期に「ノー」と言えることは、子供の人格が育つ上で不可欠なプロセスなのです。ここで「ノー」が言えずに、「はい」だけを強制されると、あとあと厄介なことになります。
 今の時代、どれだけの人が「ノー」と言えずに苦しんでいることか、それは親が「ノー」を反抗と理解して、「はい」と言える子供が良い子だと考えた結果です。
 親が受け入れてはならない反抗とは、反逆と言った方がいいかもしれませんが、それは親の権威に挑戦することです。
 親は権威を持って子供を守り、正しい道に導きます。また子供は親に従っていきます。これは神が定めた秩序です。
 最近は、友達親子というものがあるそうですが、それは、決して正しいあり方ではありません。

親に挑戦する

 ここで大切なのは、親は権威を乱用しないということです。前述したように、「はい」と言わせるために、あるいは従わせるために親の権威を振りかざすなら、それは権威ではなく権力です。
 正しい権威は、人を生かすためにあります。しかし、権力は自分のエゴのために人を傷つけます。
 (この権威については、改めて詳述します。)

子供には色々な子供がいます

 子供は、本当に純粋な存在ですが、親に逆らうという罪の性質をしっかり受け継いでいるものです。子供は天使ではないのです。ですから躾けることが必要なのです。
 権威への反逆とは、どのようなものでしょうか?
 それは、親を自分の意のままに動かそうすることです。親を自分に従わせようとするのです。

 その手段として

     
  1. 泣きわめく。
      おもちゃ売り場で子供が手足をばたつかせながら泣き叫んでいます。その時に親の方が周囲の目を気にしたり、焦ったり、心に余裕がない時など、思わず子供の要求に応えてしまいます。すると子供は泣き叫べば親を自分の要求に応えてくれると学習します。
     
  2. 怒りや暴力で。
      小さな子供でさえも、怒りを発したり、親を叩くことで、親を意のままに動かそうすることがあります。親自身が心の余裕がなく、躾けというような状況ではなく、自分が生きるだけで精一杯の時など、親の方が子供が静かにしてもらうために、頭を下げたり、懇願したり、なだめたりすると、当然子供は増長します。
     
  3. 少しづつ権威に挑戦する
      親の顔色をうかがいなら、少しづつ反抗します。いけないと分かっていながら、親の反応を確認しながら禁止されている事に挑戦しようとします。
      子供は、もしかしたら叱られないかもしれないという期待を持っています。こんな時に親はぶれないことです。状況によって叱ったり、見逃したりすると子供は、そのスキを突いてきます。
      お客さんが来ると急に聞き分けがなくなる子供がいます。それは親を振り向かせための場合もありますが、お客さんの前では親が怒らないという事が分かっている場合もあります。
     
  4. 夫婦のスキを利用する。
      夫婦の間に不和があると、子供は当然叱られない方へ行きます。そして両親の状況をうまく利用して、なんとか自分の要求を通そうとします。
      あるいは、祖父母に取り入ることもありがちなことです。
 他にも色々な手段がありますが、いずれにしても自分の要求を通すために、あの手この手を使うのが子供です。子供は、その点においては大変にしたたかです。子供は自分の欲求をコントロールすることが出来ません。欲しいものは今欲しいのです。しかし、どんなことがあっても、子供が親を支配し、従わせることはあってはなりません。
 反逆とは、親の権威に逆らうことです。そして親を自分に従わせようとすることです。
 「子供たちよ、主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。」(エペソ6:1)
しかし、この反逆に関しては、親がスキを作らなければ防ぐことが出来るものです。子供に、どんなことがあっても親を操ることは出来ないということを分からせるのです。子供に諦めさせるのです。
  子供に権威に従うことを躾けるためには、親自身がぶれないことです。揺ぎない心をもって応えることです。もちろんおもちゃを買ってあげていいのです。子供の求めてに応えてあげていいのです。しかし、状況によって、今はそのおもちゃは買わない、その求めに応えられないという時、一度ノーを言ったらノーで通すことです。
  もちろん、その時にもなぜノーなのかを十分に説明することです。そのためには、親自身が、いかに心にゆとりを持っているかということが大切になってきます。
  親自身に余裕がないと、子供の必死の要求に抵抗しきれません。すると子供は、ますます要求を強くしてきます。

子供との対話

 親自身が一人の人間として、心の平安を得ていることが大切です。

 聖書に次のような言葉がある。
 「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしの所にきなさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11章28節)

 子育ての重荷を一人で負ってしまうことがないように、その重荷を下ろせる場があるということを知ってください。

子供は神様からの預かり物

私たちは親であると同時に、父なる神の子供なのです。父なる神にもっと甘えてもいいのです。もっと愛され、もっと赦されましょう。
  子供は、神様からの預かりものです。最終的には、神さまがその子供の人生に責任をもってくださいます。神に委ねていきましょう。
 
文:関 真士

ひよこの会
  • 日時;木曜日  第一、第三
    午前9時半~
  • 会場;HCC牧師館
    (ハワイ大学の近く)
    2207 Oahu Ave. Honolulu、HI 96822
  • 連絡;関 真士 TEL988-4314

★どなたでも、ご自由にご参加出来ます。