HCC ひよこ16

HCCJapan.org| 戻る| 小冊子リスト| 集会案内| 写真| ニュース| メッセージ| ボイス|


反抗期への対応(ひよこ16)
 さて、今回は「反抗期」について考えてみましょう。
 「反抗期」には、第一反抗期(二、三歳)と第二反抗期(思春期)があると言われます。
 しかし、以前にも話したように、この時期の子供の行動を「反抗」と受け取ること自体に大きな問題があります。
 実は、この時期の子供たちは、人間として順調な成長過程にあるのであって、それは「反抗」ではなく「自己表現」なのです。
写真・ひよこ

ギターを弾く若者

 その自己表現を「反抗」と受け取り、反抗期と名づけてしまったこと自体に大きな問題が潜んでいるのです。
 つまり「人格」という、自分で考え、判断し、選び、それを自分の意見として表現すること、それを認めない、むしろ人格を抑圧して周囲に合わせる生き方を良しとする価値観、文化、それらが子供の喜ばしい成長を「反抗期」という否定的な表現に変えてしまったのだと思います。
 アメリカでは反抗期というものがありません。もちろんギャングエイジと呼んだり、テラブルエイジと呼ぶことはあります。その時期の子育ての大変さ、思春期の子供との衝突、それは同じようにあります。
 しかし、それを「反抗」とは呼ばないのです。むしろそれを喜ぶという価値観、文化が根底にはあるのです。なぜなら、それだけ子供の人格が成長しているからです。これは喜ばしいことです。


 私も小さな娘のために、いかにも可愛らしいワンピースなどを買ってこれを着せたいと思うわけです。しかし、娘はワンピースが嫌らしくて単パンをはきたがるのです。
 それまでは親の用意した服をそのまま着ていたのに、急に「嫌だ、ノー」と言い出すのです。色にもこだわりが出て来ます。
 これは親にとって試みでしょうか? 喜びでしょうか? もし子供を自分の着せ替え人形にしたかったら悲しみですが、子供の人格の成長を望んでいるなら、こんな嬉しいことはないはずです。と言っても、お父さんとしては、少しの寂しさも感じていますが…。


 ある30歳を過ぎた方が言っていました。「自分が何が好きで、何がやりたいのかが分からない。」それは、小さい時から、とにかく親の言うことを「ハイ」と聴いていれば、それが良いことだと教わって来たというのです。ですから自分の意志を持つことが許されなかったし、それが良い子であると思わされていたのです。
 しかし、ある年齢になっても、自分の意志が自分でも分からないというのは、本人にとって幸せなことではありません。
 あるカウンセラーは、問題行動や心の問題を抱えた方に「あなたには反抗期がありましたか?」と尋ねることがあります。
 それは、今の問題の原因の一つに、反抗期に反抗ができなかった、言い方を変えると、自分の人格を表現することが許されないで、抑圧されていたのではないか? ということが考えられているからです。
 さて、今回は、この反抗期について考えていきますが、これからはあえて「反抗期」という言葉を使わないで「人格成長期」と呼びたいと思います。

泣く子

子育ての目的

 さて、「木を見て森を見ず」とも言いますから、ここでもう一度子育ての目的について確認しておきましょう。
 まず、人は「神のかたち」つまり人格的存在として造られた存在であるということです。
 人格とは、自分で考え、判断し、選ぶ主体性のことです。そして人は、それを言葉と感情で表現します。
 人は、母の胎内の中で、その人格を潜在的に有しています。そしてこの世界に誕生し、へその緒が切られた、その瞬間から人格が芽を出して成長を始めます。
 子供が小さいうちは、まだ人格が未成熟です。ですから親は、その子供の人格を育てるわけです。子供が自分で考えることが出来るように、自分で正しい判断が出来るように、そして自分で選ぶことが出来るように育てるのです。
 新生児に「今日は何色の服が来たい?」と尋ねる親はいません。尋ねても答えられません。ですから親の人格で子供を補います。
 少し成長してきたら、「青色と黄色とどちらの服がいい?」と尋ねると、「青がいい」と子供が選ぶようになります。

ベビー

 もっと成長すると親に尋ねられなくても、自分の洋服だんすの中から、自分の好きなものを選ぶようになります。
 親としては、そうなって欲しいのです。一五歳になった子供が、親に「今日は何を着たらいいの?」と尋ね、親がそれを用意するのなら、それはどうでしょうか?
 子供が人格をしっかり持って、自分の人生を生きて欲しいのです。
 例えば、新生児を過ぎて、いよいよ人格が育ってきて、親は今日はピンクのこの可愛い服を着せたい、でも子供は赤を着たい、となった時、子供は親が用意したものに対して「ノー」と言います。
 その時に親は、うちの子は反抗期に入ったと思うわけです。そこで、反抗は決して許容してはいけない、でないと将来わがままになると思って、その子供の「ノー」を怒って否定してしまうことがあります。

子育ては人格を育てる事です

 しかし、ここが最も大切なところですが、子育ては人格を育てることです。それが目的です。ならば、この「ノー」は、実に健全に順調に成長している印です。
 もしここで「ノー」が否定され、怒られてしまうと、子供の人格を否定してしまうことになります。
 まさか、この時期から、親の顔色をうかがって、親のご機嫌を取るために、親に合わせて「イエス」という子はいないだろうと思いますが、実際にはいるのです。
 前回も話しましたが、子供は潜在的に「親に捨てられるのではないか」という恐れを持っています。そのために、捨てられないために、親に受け入れられる自分を演じるようになります。
 そうすると、いわゆる「良い子」ではあるけれでも、自分の意志を持たないという子供になります。
 まず2歳頃から、たとえ親の考えと違っても、子供が自分の意志を表現しているなら、それはとても喜ばしい「人格成長期」なのだと理解しましょう。
 そして18年、20年くらい掛けて、完全に自分で考え、判断し、選び、世界で歴史上でたった一人の自分だけの人生を生きることが出来るようになるのです。
 その人格的自立が子育ての目的であり、その成長をサポートすることこそが、子育てということなのです。
 この人格成長期の特徴としては、先ほどから取り上げている「ノー」という表現が出てきます。
 人生においては、「イエス」も大切ですが、「ノー」を言えることも大切です。
 特に現代においては「ノー」と言えない人々が増えているようです。
 セールスを受けて何の問題もなく断れる人は、それでOKです。でも断れない、電話を切れない、話しを終えられない人がいます。セールスマンとの関係が断たれるのを恐れて「ノー」が言えないのです。そんな初めて会ったこのセールスマンとの関係も元々ないのですが、「ノー」と言うことはイコール、関係を断つこととして受け取られるのです。そこに言いようのない不安を感じるのです。
「人格成長期」
の特徴

 19歳頃だったでしょうか、アメリカでルームレントをしていた時、その家のオーナーの娘と友達(7歳位)が、私の部屋に遊びに来ました。だんだん遊びがエスカレートしてきて、服をタンスから引っ張りだしてやりたい放題です。
 私は心の中で怒っているのですが、顔ではニコニコして、でも引きつっていたと思うのですが、そこにそのお母さんが入ってきて、その状況を見て開口一番「あなた、こんなにまでされてノーって言えないの?!」と言われました。
 自分でもどうして? と思います。「ノー」と言うことに恐れがあるのです。それは、「ノー」と言った時に、その言葉を否定される、つまり人格を否定された体験があるからです。
 そうなると自分が「ノー」と言うことは、相手に自分の存在を否定されることになるので、何でも「イエス」と言ってしまう「良い人」になってしまいます。そしてセールスマンのカモになってしまうのです。

 もし人生において「ノー」が言えないと、精神も時間も物質も、その人生の全てを奪われることになります。
 子供の「ノー」を大切にしましょう。
 それでは、わがままになってしまうのでは? と心配が出てくるわけですが、その「ノー」を「イエス」に変えてあげればいいのです。

「No」といえる環境を作りましょう

 例えば「僕は赤色は着たくない、こっちの黄色がいい」と子供が言えば、「そうなの、じゃあ黄色を着たいの?」と答えてあげれば、子供は「イエス」と答えるはずです。
 「早く食べなさい」と言えば、「嫌だ、食べたくい」と答えるかもしれません。しかし、なぜ食べられないのか? 「そうかさっきマックのポテトを食べたからお腹が一杯なんだ、それで食べたくないんだね」と言えば、子供は「イエス」と答えます。
 つまり子供の「ノー」を尊重することは、逆に考えれば子供の「イエス」を尊重することです。
 親が子供に何でも「イエス」と言わせようとすると、子供の心には「ノー」しか残りません。
 でも逆に、親が子供の「ノー」を尊重すると、子供の心には「イエス」が残るのです。
 そこには自分の人格を肯定された喜びがあります。それはわがままとは程遠いものです。
 自分の人格が尊重された子供は、必ず他者の人格も尊重できるようになります。わがままという自己中心には決してなりません。
「人格成長期」
の対応

人格が成長することは良いことです。でも反抗は悪いことです。
  反抗とは、親の権威への反逆であり挑戦です。それは許容してはいけません。(12号を参照)
  しかし、この年齢の子供たちの行動を、反抗期とするか、人格成長時期とするか、それは親の対応にかかっています。
  もし親が、その子供の人格を尊重しなければ、子供は反抗し始めます。それこそ本当に「反抗期」になってしまいます。
 子供に限らず、人間にとって最も辛いことは、人格が否定されることです。人格が否定された時、人間は悲しみます、怒ります、傷つきます。そして自分を取り戻すために戦います。それは「反抗」という否定的な形で表現されます。
 その戦うエネルギーがあればまだいい方です。現代では、戦う気力もないくらいに、人格の抑圧がなされている時代です。
 子供を「反抗」させないためには、子供の人格を尊重することです。
 そのためには、聴いて、理解して、話し合うことです。それこそ人格的関係です。
 気をつけて欲しいのは、人格を尊重することは、何でも子供の言うこと、やることをOKすることではないということです。親も人格的存在として「ノー」が言えるわけですから。
 親自身が人格的存在として、子供との人格的関係を持つことが相手の人格を尊重することになるのです。
 最近、15歳の娘が耳にピアスの穴を開けたがっています。もちろんアメリカですから、ピアスの穴を開けることには何の問題もありません。炎症とか金属アレルギーを気にするくらいです。
 でも私たちは、これを良い機会として捕らえて、娘と色々話しました。

人格尊重が人を成長させます

 まず、素顔の自分に自信を持つこと、アクセサリー類は、エスカレートして自分を失うことにもなること、そうすると本当の自分を肯定できないで、自分がとっても辛くなること、など等。
 そして「自分の人生とピアス」という作文を書かせました。娘は、とにかく早く穴を開けた一心です。どれだけ親の言葉が耳に入っているかは分かりません。娘は明らかに不満顔です。
 しかし、娘がなぜ穴を開けたいのかを聴き、その気持ちを理解し、その上で親の気にかけていることを話し、また娘の答えを聴く、というやり取りこそが大切なことなのです。
 結果的に、私たちはピアスの穴を開けることを許すことにしました。娘はハッピーです。
 もし許さないという結果になったとしたら、娘は当然不満で一杯でしょう。しかし、そこに至るまでに、十分な人格的交流があると、不満ではあっても、反抗に至りません。

抑圧されると反抗心が生まれます

 聖書には次のように書かれています。

 「父たちよ、あなたがたも子供を怒らせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」  

(エペソ書六章四節)

 人は、大人でもそうですが、人格が抑圧されることには反抗するものなのです。逆に、そこで反抗しなければおかしいのです。

 ボールを水の中に押し込めば押し込めるほど、強い力でボールは飛び出してきます。人格も抑圧すればするほど、反抗となって飛び出してきます。
 「あなたに反抗期はありましたか?」という質問に、「ない」と答えた場合、よほど人格が抑圧されてきたか、それともよほど人格が尊重されてきたかのどちらかです。私は両方の方々に出会ったことがありますが、その違いは一目瞭然です。
 特に後者の方は、35歳くらいだと思いますが、こんな健全な人格はめったにお目にかかられないと感じさせる方でした。その方は「私は反抗期がなかった。なぜなら両親は常に自分の考えを尊重して、常に自分で選びなさいと言ってくれましたから。」と言うのです。なるほどと思いました。
 これが出来れば理想的です。

 いずれにしても、「反抗期 大歓迎!」です。それは反抗ではなく、「人格成長期」だからです。
 いたずらにしても、人格成長期にしても、親にとっては大変なことです。しかし、この一時期を過ぎると後が楽になりますから。
 日本にいた時のことです。ある90歳のご婦人が45分位かけて、歩いて坂道を登って教会に来られていました。「この坂道は大変ですね」と言ったら、「いえ、帰りは下りですから」と答えられました。この発想が元気の秘訣ですね。子育ても、この坂道を越えれば、後で楽になりますから。
 

文:関 真士

子供をのびのび育てましょう

ひよこの会
  • 日時;木曜日  第一、第三
    午前9時半〜
  • 会場;HCC牧師館
    (ハワイ大学の近く)
    2207 Oahu Ave. Honolulu、HI 96822
  • 連絡;関 真士 TEL988-4314

★どなたでも、ご自由にご参加出来ます。