HCC ひよこ17

HCCJapan.org| 戻る| 小冊子リスト| 集会案内| 写真| ニュース| メッセージ| ボイス|


父性と母性 その1(ひよこ17)
 今回のテーマは、父性と母性です。
 この「性」もまた、神のかたち=人格の現れです。
 創世記の一章二七節には、「神は、このように人をご自身のかたちに創造された。 神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」と書かれています。
 神のかたちとは人格のことですが、その人格とは男性と女性という性にも関わっているのです。しかも、この男性と女性の関係は夫婦であったということは意味深いことです。アダムとエバは夫婦でした。
 人類史上初の人間関係は、夫婦関係から始まりました。ですから全ての人間関係の基礎は夫婦関係にあるのです。
写真・ひよこ
 ある社会学者は「社会を構成す最小単位である家庭が崩壊すると、社会全体も崩壊する。」と言いました。
 そして、この家族の要が夫婦なわけですから、夫婦の祝福は、家族の祝福、そして社会全体の祝福になるのです。これは決して大げさなことではありません。そして逆もしかりです。
 さらに、これは単に社会的なことだけではなく、人間の人格形成にとって夫婦は最も大きな影響を与えるものだということです。

夫婦関係が大事です

 夫婦の役割を究極的に表現すれば、それは子供に神のかたち=人格を体験的に見せるということになります。それは子供が、神との人格的な関係を持つための基礎になります。次に、それが人間関係を持つための基礎にもなります。
 夫婦が真実な愛と信頼で結ばれていると、その子供は、そこに神のかたちを見ます。そして人格的関係とは何か? を体験として習得していくのです。
 そのような意味で、夫婦とは、この社会の要であり、また一人の人間の人格形成に最も大きな影響を与えるものだということです。
 さて、夫婦関係については、後日に改めて考えることにして、今回は、この人格=夫婦の中にある、男性(父性)と女性(母性)について、考えてみましょう。

 この父性と母性がバランスよくある時に、子供の人格も健全に成長していくということです。

 母性の特徴を一言で表現すると「受容」です。「包含」とも言えます。その対象が善でも悪でも、全てを受け入れ包み込んでしまう。よく「母なる大地」「母なる~河」などと「母」という言葉がつけられる時、そこに込められているイメージは、「産み出す豊かさ」「無条件の受容」と言えるのではないかと思います。
 大地の上には良い人も悪い人も共に住みます。悪い人は住めませんとは大地は言いません。同じ種を蒔くなら、良い人にも悪い人にも、わけ隔てなく産物を生じさせます。人間が生きていくために必要なものを大地は産み出し、それを分け隔てなく与えてくれます。
 また「母なる河」と聞いてすぐに頭に思い浮かぶのがインドのガンジス河です。この河では沐浴がされ、埋葬、洗濯、入浴・・・人の生活のすべてがあり、人の一生の全てをそのまま受容し流れていきます。
 母性というのは、このように全てを無条件で受容し、包み込み、惜しみなく与えるものです。母性は感情的であり、感覚的です。
 この母性が子供に向けられる時、子供は絶対的な愛の中で、自らの存在を確立することが出来ます。
 あなたは母性的でしょうか?
母性について

父性について

 父性の特徴を一言で表現すると「切り離し」です。
 その対象が善であるか悪であるかを明確にします。物事を判断しようとします。そして決断します。善も悪もまとめて一つにするということが出来ません。
 父なる大地とか、父なる川という表現はあまり聞きません。父なる山というものはどうでしょうか。母なる山はなだらかな山をイメージし、父なる山は険しい山をイメージします。それは山のこちら側と向う側を分け隔てるイメージです。
 父性は理性的であり、論理的です。母性はつなごうとしますが、父性は切り離そうとします。
 この父性が子供に向けられる時、子供は自立への道を歩み始めます。そして善悪の基準を得て、判断する力、決断し実行する力を得ていきます。
 あなたは父性的でしょうか?

父性と母性の機能

 父性と母性は、本来一つです。今は便宜上二つに分けて説明していますが、本来は一つです。
 夫婦が一致していると、この両者が一つのものとして機能します。
 しかし、夫婦の不一致が、このバランスを崩すときに、父性と母性もバランスを失います。

猫

父性を失った母性

 母性の特徴は受容です。それが父性による切り離しを得ないと、その受容は、包み込みから、しがみつきへ、そして飲み込み、やがて死に至らしめます。本来素晴らしい性質であるはずの母性が、依存と支配をもたらすものへと変質してしまうのです。これは母性の暴走です。
 ある母親は、私にとって一番大切なのは、猫と息子だと言いました。猫と息子のことになると理性を失ってしまいます。二〇歳を過ぎた息子の仕事から、食事から、友人関係から、何から何まで決めようとします。息子はそんな母親から自立したいと思いながらも、自立する力が養われていませんから出来ません。結局は母親のペットの様になってしまっています。
 父親は妻に母親探しをし、父性を放棄し子供となっています。当然「切り離す」という父性の役割は出来ません。妻に母親を求める夫、父性による抑えを失った母性の暴走、その犠牲者としての息子。典型的な一つのパターンです。

母性を失った父性

 つまり「受容」することのない父性は、切断が、切り捨て、裁き、拒絶となり、これもやがて死をもたらします。
 ある摂食障害の子がいました。両親共、ある宗教の熱心な信者でした。戒律を重んじる教えの中で、両親は子供に対して戒律に従うことを教えました。教えを守れない時には厳しく叱られました。到底守ることなど出来ない戒律ですから、愛され赦されることがありません。常に戒律が自分を見張り裁きます。
 ある時、体調を崩して痩せてしまいました。その時母親の「あら、最近あなた痩せたわね」という一言が心を揺らしました。そうか痩せれば、お母さんは自分のことを心にかけてくれるんだ。母親の一言に小さなぬくもりを感じたその子は、それ以来痩せるために食事をしなくなりました。そこから節食障害が始まりました。

 私たちも、それぞれの家のルールがあります。
 ルールは大切ですが、母性を失い暴走を始めた父性は、子供のあるがままの存在を受容できずに、常に裁いて否定します。存在を受容されたい子供たちは、親の願いにかなう、なんでもハイという良い子を演じ始めます。
 子育てにおいて、このように父性と母性のバランスが崩れてしまうとトラブルが起こってきます。
 さて、私たちの社会には、この両極端な現象が見られます。
 母性の暴走によって依存、支配されて人格が傷ついてしまった人。
 父性の暴走によって拒絶され、切り捨てられて人格が傷ついてしまった人。
 「あなたのために」という言葉で支配されてきた人。
 「おまえなんかダメだ」と言われて拒絶されてきた人。

母性と父性が暴走すると?

ある学者が、「昔の日本は父親の権威が強く、一見、父性社会のようでありました。そこでバランスをとるために父性を弱め母性を強めるような風潮が起こりました。しかし、父性社会というのは外見だけで、実質は妻が家庭を牛耳っていた母性社会であった。」と言っていました。
そこで、外見だけの判断で父性を弱めるようなことをしてしまったので、もともと強かった母性の抑えがはずれてしまい、いよいよ父性と母性のバランスが崩れているのが現代の問題であるように思います。
父性と母性の
バランス

 聖書にハンナという名の女性の祈りが記されています。ハンナは子供が与えられず、差別と屈辱の日々を送っていました。そんな中でハンナが心を注ぎ出した祈りが次のものです。
 「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」(第一サムエル記一章十一節)
 この祈りに神が応えてくださってハンナにサムエルという男の子が与えられました。そして子供が乳離れした時、約束通りに子供を神に捧げました。ハンナの子供を産みたいという思いは、まさに母性の本能です。しかし、そこまでして与えられた子供を神に捧げるということは、父性的な心です。産み出すということと、切り離すことの両方があります。
 子育てに限らず、例えば会社で誰かの失敗を発見したとします。母性的な人は「まあまあいいじゃないか。誰でも失敗するよ」と言います。父性的な人は「なぜ失敗したのか、失敗をどう償うのか」という所に意識がいきます。
 両方をバランスよく持っている、つまり成熟した人は、失敗した人を受容しながらも、次に失敗しないためにどうしたらよいかを考えるのを助けます。物事を受け入れようとする心と、物事を正そうとする心の両方を持っています。
 母性的な人は、父性的な人を見て厳しすぎると感じます。逆の場合は、甘いと感じます。
 夫婦の中でも、この二つの性質がかみ合わないと「厳しすぎる、いや甘すぎる」といったようなやりとりが出てきます。
 さて、少し整理してみましょう。父性と母性は、一見対立するように見えます。しかし、この性質は本来は一つであったということです。ですから一人の人間の中に、父性と母性の両方が存在します。 人格の成熟とは、この二つの性質がバランスよく機能することです。 男性だから父性だけでいいというわけにはいきません。女性の場合も同じです。

 成熟した者同士が夫婦となれば、お互いの足りない部分を補い合うことが出来ます。これは夫婦の恵みです。
 しかし、個人の場合にしても、夫婦の場合にしても、うまく補い合うよりは、見事にぶつかってしまうことが多いようです。なぜでしょうか。
 それは、自分の両親が一致していなかったために、受容ではなく依存と支配、自立への支援ではなく、拒絶と裁きを受けてきたからです。

父性と母性の
回復

 さて、神のかたち=人格=父性と母性、とつながってきました。私たちの両親が幸いに父性と母性をバランスよく与えてくれていたら、それは本当に幸いなことです。

 しかし、もしそうでなければ、私たちは父性と母性の大元である神に、その失われたものを回復していただくことが出来るのです。
 「見てご覧なさい、神の慈しみと厳しさを」
           (ローマ十一章二二節)

 神の中に、父性と母性が本来の一つのかたちとして宿っているのです。
 それが見事に現されたのが、キリストの十字架です。
 罪を裁くという神の正しさ、それは父性的です。そして自らの命を捨ててまで、敵をも愛する無条件の愛、これはまさに母性的です。
 裁きと愛、これは相反するものです。でも、それが十字架によって一つとなったのです。

キリストの十字架

夫婦とは、お互い足りないもの同士です。しかし、その足りなさを放置するのでも、相手に要求するのでもなく、神ご自身に補っていただくことを求めていきましょう。
  父性も母性も、神のかたちですから、神に回復を求めましょう。
  神と共に生きる時、私たちの人格は回復し、成長していきます。その成長の中には、父性と母性の回復も含まれます。一見相反するように見える二つの性質が、一つに機能して初めて成熟と言うことが出来ます。
  そうすると、子供たちの心には、神への、そして親への畏れと同時に愛が育つようになります
ひよこの会
  • 日時;木曜日  第一、第三
    午前9時半~
  • 会場;HCC牧師館
    (ハワイ大学の近く)
    2207 Oahu Ave. Honolulu、HI 96822
  • 連絡;関 真士 TEL988-4314

★どなたでも、ご自由にご参加出来ます。