HCC 子育て01

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子供の成長 (子育て01)
写真・HCC&WOCC 交歓会
これからご一緒に、夫婦・親子・家族というテーマで学んでいこうと思いますが、まず、今回は、「子育て」ということを考えていきたいと思います。

さて、最初に「子供の成長」というものを、「子供の」という見方ではなく、一人の人間としての成長という視点から見ていくことをお勧めします。人間は、母の胎内に誕生した時から成長を始め、体も心も共に成長していきます。やがて母の胎から出て、地上での成長が始まります。そして、この成長はやがて地上での生涯を終える時まで続きます。確かに身体的な成長は年と共に衰えてきますが、それでも成長が終わったわけではありません。絶えず新陳代謝を繰り返し、新しい細胞が生まれ続けているのです。心の成長は言うまでもなく、一生続くものです。 そして人間は一人では成長出来ないように造られています。幼児期も、青年期も、成年になっても、高齢になっても、常に自分を成長させてくれる人が必要です。もちろん、その時、その時によって関わり方は違ってきますが、人間は一生涯、多くの人々との関りの中で、成長し続けるものです。
子育てというものは、神から自分に預けられた子供が、一人の人間として成長していく過程の、一部分に親という立場で関わることです。

あくまで一部分です。子供はやがて親から自立をしていきます。というより、母とのへその緒が切れた時から、自立は始まっています。子育てとは言い換えれば、子供の自立をサポートすることです。子育ては、その子供の人生の一時期に関ることであることを自覚することによって、親としての責任を明確にし、その一時期にしか出来ない成長があることを知ることが出来ます。子育てが一時期のことであることを見失い、時期が終わっているのに、親として関りを持ちすぎると、いわゆる過保護、過干渉というようなバランスを失った子供との関りが生じ、結果として自立できない子供にしてしまうということになります。 子育てというものは、
神から自分に
預けられた子供が、
一人の人間として
成長していく過程の、
一部分に親という立場で
関わることです。
親が親として子供の成長に関ることの出来る時期は、胎児から18歳〜22歳位まででしょう。ある程度個人差があると思いますが。だいたいこの辺りではないかと思われます。そしてこの期間、親でなければ出来ないこと、教えられないことがあります。逆に公園の砂場でしか学べないこと、学校の先生からしか学べないこと、近所のおじさん、おばさんからしか学べなこと、祖父祖母からしか学べないこと、職場の同僚、上司からしか学べないこと、などと考えると、親という立場だからこそ教えられることとは何か? 考えさせられます。
それでは、人間として成長するということについて詳しく見て生きたいと思いますが、何事も原則が大切です。原則を知ることによって物事をよりシンプルに捉えることが出来るからです。子育てというテーマは、具体例を挙げれば、親子の数ほど例があるわけです。何事も枝葉から入るとかえって迷路に迷い込むことになります。まず原則を知ることによって、子育てという難解なテーマの交通整理をしたいと思います。

花束

  • 子育ての目的

    創世記一章二七節に、「神は、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造した。」と記されています。この神のかたちとは人格のことです。人格とは、人が自分で考え、自分で判断し、自分で選択し、その結果を得るという主体性のことです。そして、聖書は、神のかたちを男と女に現すというのです。

子育てという
夫婦の務めの
一番の目的は、
子供に神のかたちを見せ、
子供の人格を
成長させるということです。
    この男女はアダムとエバのことですから、夫婦です。夫婦から家族が生じ、社会が生まれ、文化が形成され、歴史が営まれて来ました。この社会全体の原点は夫婦なのです。社会を形成する最小単位である夫婦が壊れると社会全体が壊れるというのは大げさなことではありません。次に「生めよ増えよ」という祝福が神によって語られます。つまり夫婦に子供が与えられるということの意味は、夫婦の中に現される神のかたち(人格)が子供たちに受け継がれていく、ということなのです。夫婦が本当の意味で一心同体で愛と信頼で結ばれているならば、子供にも神のかたちが見えてくるのです。つまり子供の人格が育っていくのです。逆に夫婦の関係が壊れると、子供の神のかたち、つまり人格も壊されていくのです。
  • 傷ついた神のかたち―人格―

    さて、アダムが堕落をして人間が「罪人」となった時、この「神のかたち」も傷つき壊れました。ですから全ての人が例外なく、不完全な人格をもってこの世に誕生します。程度の差はあれ、どの夫婦も完全には神のかたちを現すことは出来ません。ある程度良い夫婦関係のもとで育てられた子供は、比較的スムーズに成熟した人格を得ていくことが出来ます。しかし、壊れた夫婦関係のもとで育てられた子供は、成熟した人格へと成長することがスムーズに行きません。

人格は
様々なものによって
傷つけられますが、
最も傷つくのは
支配される時です。
    例えば、典型的な例として、父親が仕事に没頭し、家庭に不在がちであり、たまに家にいても妻との豊かな会話や心を通わすことが出来ていない場合、妻は本来夫によって満たされるはずの心が満たされませんから、他のもので満たされようとします。そこに男の子がいた場合、たいていの場合、妻はわが子によって自分の心を満たそうとするものです。夫に注ぐはずのエネルギーを全てわが子に注ぐようになります。よく子供は夫婦の愛情のおこぼれで育つと言いますが、おこぼれどころではなく、全てを注いでしまうことになります。子供の方はと言いますと、へその緒が切られて以来、子供はもう一度へその緒をつなごうと試みます。男の子であれば母親を自分のものにしようとします。男の子は例外なく、母親に初恋をするのです。本来ならば、母親の心は夫に向けられているので、子供のつけいる余地はなく、人生最初の失恋を経験し、その結果お母さんはお父さんのものであり、自分のものではないと悟り、自立への道をスタートできるのです。しかし、前述のような夫婦関係の場合、お母さんの思いと、子供の思いが一致してしまい、そこには、不健全な依存関係が成立してしまうことになります。
    そうしますと、必然的に親は子供の人格を支配するようになります。支配という意識がなくても、先回り、代弁、過保護、過干渉ということがなされていきます。子供のためにならどんな犠牲も払うようになりますが、子供が自分の意思で考え、行動し、選択し、その結果を刈り取ることを妨げ、親の考えや価値観を子供に「あなたのためだから」「愛しているからこそ」と称して押し付けることになります。「愛という名の支配」というタイトルの本を見たことがありますが、まさにその通りです。そして、その根本的な動機は、親自身の満たされない心や、子供を不憫に思う心、自己実現の手段であるということが見られます。
    しかし、人間のうちにある神のかたちは、決して支配されることを良しとはしません。なんとか生きようとします。その支配から脱しようとします。それが親への反抗として現れるわけです。反抗の表現にも度合いにも色々ありますが、子供は自らの抑圧された思いを上手に表現することは出来ないものです。親に対する反抗は厳しく戒めなければなりませんが、人格を押さえ込むことが躾ではありません。この辺りの叱り方については後日取り上げて見たいと思います。また「あのおとなしい良い子が、突然親に暴力を振るい出す」というケースもあります。それは人格を支配されて来た子供が、自らの神のかたちが壊されることへの悲しみ、怒りを溜めに溜めて限界に達したということです。だからといって、その破壊的な表現を肯定することは出来ませんが、その根底にある心の闇に光を当てることは大切なことでしょう。ボールを水の中に沈め、強く抑えれば抑えるほど、ボールは激しく飛び出してきます。いわゆる「切れる」という状態です。さらには、あまりの親の強さに抵抗すら出来ず、支配の中に自らを委ね、そこに自分の居場所が出来てしまうくらいに、人格が支配されてしまっている場合もあります。
    自分の意思がまったく否定されたらどうでしょう。自分で判断することが許されなかったらどうでしょう。自分で選ぶことが出来なかったとしたらどうでしょう。その結果、何も自分で成し遂げたという体験を得られなかったらどうでしょうか。もはやロボットです。人間にとって最も深い傷は、神のかたちが傷つけられることです。それは人間としての存在に関わることなのです。言い方を変えると人格を支配する、つまり神のかたちを傷つけることは、神ご自身を傷つけることでもあるのです。
    これは、一つの例に過ぎませんが、夫婦の関係が壊れると子供の人格も壊れるという一例です。
  • 神のかたち―人格―の回復

    さて、全ての人が不完全な人格をもって生まれてきます。ですから私たち人間には回復が必要です。回復とは、本来所有していて失ったものを取り戻すことを現しています。「神のかたちに人が造られた」という人間としての本当の姿を取り戻すということです。そして、イエス・キリストの福音とは、まさに「罪を取り除き」「神のかたちを回復」してくださるものなのです。子育てを考える時に、子供の人格が成長するためには、まず親である自分自身の人格を回復することが先決です。次に夫婦の関係に人格的な関係を回復することです。その結果として、子供の人格も回復して来ることになります。

大切なことは、

子供たちを、

この神と共に

歩む人生に

導くことです。

    キリストの福音がもたらす回復への鍵は、「神と共に歩む」ことです。人格は、人格に影響されます。イエス様は、「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいます。」と語られました。私たちは、イエス様と共に歩むときに、イエス様の人格に影響されるのです。また聖書は、「古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着なさい。」とも言っています。救われる前の古い傷ついた人格を十字架に釘付けにし、私たちもキリストと共に新しく復活するのです。そしてイエス様の人格というモデルを得て、聖霊の助けと励ましによって、私たちの人格が、イエス様の人格に似てくるのです。ですから、自らの人格の回復を求める時、努力して今の私を改善するのではなく、キリストを信じて、全く新しく生まれ変わり、キリストと共に歩むことで、新しい人格を築いていくのです。

    夫婦の関係が壊れて修復が困難となり、神のかたちが壊れてしまった場合、その問題を過小評価せずに、事の大きさをしっかりと直視することが必要です。そこから真の悔い改めが生じます。しかし、イエス様の言葉は、「悔い改めて、福音を信じなさい」です。たとえ、夫婦が充分ではなくても、子供に神のかたちを見せることは可能です。
    イエス・キリストが救い主であることの意味をもう一度深く考えてみましょう。夫婦関係においても、子育てにおいても、たくさんの失敗をしてしまう私たちです。しかし、イエス様は私たちの罪を赦してくださる。しかも罪によって傷ついた心を癒してくださる。神は、神と共に歩む人の足りない所を、自らが父となり、母となって補ってくださるのです。大切なことは、子供たちを、この神と共に歩む人生に導くことです。

  • まとめ
    • 子育てとは、神から自分に預けられた子供が、一人の人間として成長していく過程の、一部分に親という立場で関ることです。
    • 子育ての目的は、人格の成長にあります。
    • 現代、神のかたちは危機にさらされています。罪によって傷ついた人格には回復が必要です。
    • イエス・キリストの福音は、人格の回復をもたらします。
    • 子育てで最も重要なことは、子供にイエス・キリストを紹介することです。

花束

文:関 真士
泉の会
  • 日時;木曜日  第一、第三、第五
    午前10時〜
  • 会場;アルファ・ハウス
    (マノア・マーケットプレイスの近く)
    2832 Lowrey ave Honolulu、HI 96822
  • 連絡;関 真士 TEL988-4314

★どなたでも、ご自由にご参加出来ます。