HCC 夫婦13

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ニューライフ
「アイ、アイ、アイ、メセージ」(夫婦13)


今回もより良い人間関係を求めて、三つのアイ・メッセージについて考えてみたいと思います。

アイ【I】・メッセージ

 このアイ・メッセージは、「私は〜〜」で始まる、つまり「私【I】」を主語としたメッセージという意味です。私たちが通常コミュニケーションを取る時に、「私は」「あなたは」「あの人は」という主語を使って話しをします。その状況に応じて主語を使いわけます。
 しかし、基本はあくまでも「私」です。
 この「私」が確立されていないと、当然アイ・メッセージで相手に語ることが出来ません。そうするとコミュニケーションがうまく成り立たないことが起こってきます。

 例えば人間関係にトラブルがある場合、多くの方はアイ・メッセージではなく、「あなたは、こう言った」「あなたはこうしなかった」「あなたはこう考えるべきだ」といった具合に、「あなた」を主語にして話している場合が多く見られます。しかし、人間関係の基本は、関係を持っている当事者である「私」が明確なメッセージを持っていないと成り立ちません。
 繰り返し語ってきている「人格=神のかたち」ということから考えると、自分で考え、自分で判断し、自分で選択する、さらに自分の感じている心を大切にする。このような主体性を持つことが人格的に生きることになります。私という人格が充分に回復していると、自然と「私はこう考えている」「私はこのように感じている」という具合にアイ・メッセージで相手に伝えることが出来るようになります。

 正しいアイ・メッセージを身に付けると不毛な言い争いを回避することが出来ます。例えば、「なんであなたは、そうなの、ああなの、あなたはこうだ」という伝え方をすると、まずほとんどの場合は、「自分はそんなこと言っていない、考えていない、それではあなたはどうなんだ」となります。アイ・メッセージではなく、相手を主語にして話している、つまりお互いが相手の事を問題にしている限り、争いは避けられません。
 しかし例えば、「私は、あなたの言葉で、とても辛い気持になった。」「私は、あなたの考え方に納得できない。」「私は、あなたのことがとても心配になった。」などと、自分を主語とするアイ・メッセージで伝えると、争いになる可能性はぐっと低くなります。なぜなら相手は、「あなたは」と言われないので、防衛の壁を築く必要がないからです。多くの場合は「あなたは」と言われた瞬間に防衛の壁がスッと立つことがあります。壁が出来ると後のコミュニケーションが成り立つことはまずありません。

親子の会話

 皆さんは、人との会話の中で、「私」と「あなた」とどちらを主語に会話をすることが多いですか? (ある人は、自分のことだけで相手の話しを聞こうとはしません。これは確かに「私」を主語としたアイ・メッセージに見えますが、これは本当のアイ・メッセージとは違います。それは次の章で説明します。)
 以外と多くの人が、「あなた」を主語に話していることがあります。ある方は、自分の意見を持たない、あるいは言わないで、相手の考えや判断ばかりを気にしています。人間関係のトラブルになると一層はっきりとしてきます。うまくコミュニケーションがとれない、理解し合えないといった場合には、「あなたは」の主語が多くなっているように思います。「あなはなぜ?」「あなたがこうだから」などです。
 コミュニケーションをうまく取ろうとするならば、まずアイ・メッセージで自分の思いを伝えることが基本です。しかし、それには自分の伝えたいメッセージは何か? ということを自分自身が知る必要があります。そしてその思いを率直にに表現できるようになる必要があります。そのためには、自分自身の人格が回復し成長していることが不可欠となります。

花

 親子関係の場合、赤ん坊はまだ人格が充分に育っていませんから、なんでも親に判断を任せます。それが平安であり、それで良いのです。次にだんだん子供の人格が育ってきて、特に三歳を過ぎたあたりから子供の人格は目を見張るように成長していきます。そこで親も、子供の人格をいよいよ成長させるために、子供が考えて、判断するべきことは、積極的に子供がアイ・メッセージを持てるように仕向けてくわけです。

 例えば、うちの子供がどちらの色の服を買うのか迷っていることがありました。当たり前のように「パパ、どっちがいい?」と尋ねます。ベイビーなら、親が可愛いと思う柄を決めればいいのですが、もう一〇歳です。そんな時には、あえて親が決めずに、自分で迷わせて、自分で選ばせます。あるいは初めて会った方に「あなた幾つ?」と子供が尋ねられることがあります。一歳のベイビーは分かりませんから、親が代わりに一歳ですと答えます。しかし五歳の子供なら充分に答えられます。しかし、子供がぐずぐずして直ぐに答えない時など、思わず横から「五歳です」と親が代わりに答えしまうことがあります。このようなことが繰り返されると、子供は次第にアイ・メッセージで表現することが出来なくなってきます。
 すでに三〇歳を過ぎた方で、なぜか自分のやりたいことが分からない、自分の好きなことが分からない、自分の意見がないという人がいました。彼女は、小さい頃から、親の言うことさえ聞いていればいいと育てられてきました。自分の人格、主体性が育っていないので、「私は〜」から始まるアイ・メッセージを持つことが出来ません。いつも、「親がこう言うから、あの人がこう言ったから、皆がやっているから」といった具合に、自分以外のものに、自分の意志を預けてしまうのです。

 子供の人格の成長の段階に合わせて、子供が考えるべきこと、子供が判断し、選ぶべきこと、それを表現することは、子供に任せることです。それが出来るように励まし、サポートするのが親の務めです。
 思春期に入り子供に問題行動が見られ、専門家の所に親子そろってカウンセリングを受けに来る場合、たびたびレポートされる現象は、カウンセラーが子供に質問しても、その横で親が全て代わりに答えてしまう、というものです。
 子供は本来、アイ・メッセージを持っています。しかし、あまりの圧力にアイ・メッセージを持つことを許されなかった。そこで、完全に親に依存して自分を引きこもらせてしまうか、親の圧力に反抗して非行に走るか、ということが起こってきます。
 ある思春期の子供を抱えた母親が、夜の帰宅が遅い娘を心配していました。娘が帰宅すると「あなた今何時だと思っているの?」「あなたはなんでお母さんの言うことが分からないの?」「あなたは、あなたは、」と伝えていました。しかし、その問い掛けに対して子供からは反発して出てきません。「あなたは」のセリフの中に咎めを感じ取るからです。
 そこで母親は、アイ・メッセージに変えました。夜遅く帰宅する娘に「私は、あなたの帰宅が遅くて、とても心配していた。」という具合に、自分の思いを表現したのです。この伝え方だと喧嘩にはなりません。もちろん、相手がそれですぐに行いを変えるわけではないでしょう。しかし、コミュニケーションが復活する可能性はあります。そうすれば、これから先、子供の将来を助けることが出来るでしょう。もしコミュニケーションが断絶してしまうなら、何の手も差し伸べられなくなります。
 アイ・メッセージで伝えると、相手は自分の人格が侵されていないことが分かりますから、防衛することなく会話が出来るようになります。しかし、「あなたは」で話しが始まると、その一言で心を閉ざしてしまいます。これは親子関係に限らず、夫婦関係にも言えることです。相手を主語にするのではなく、自分を主語として伝えることが大切なのです。

親子

コミュニケーション

アイ【愛】・メッセージ

 アイ・メッセージとは、「私」を主語として伝えることですが、それはアイ【愛】・メッセージでもなければなりません。もし愛がなければ、単なる自己主張の強い人ということで終わってしまいます。

 【愛】・メッセージとは、相手のアイ【I】・メッセージも尊重するということです。言い方を変えれば、相手の人格を尊重することです。そこに現れる表現は、「私は、こう考えている。あなたはどう考えているのか?」となります。【I】だけでもなく、Youだけでもありません。話すだけでも、聴くだけでもありません。まさにキャッチボールが出来るのです。ただし自分が【I】・メッセージで伝えるからこそ、相手も【I】・メッセージで返してくるのです。

 子供に対して、親自身がまず【I】・メッセージで伝えます。それも段階があります。赤ん坊に向って、「お母さんは君にミルクを飲んで欲しいと思っているけれど、あなたはどう思う?」とは聴きません。赤ん坊の人格はまだ未熟だからです。その頃では、親自身の【I】・メッセージが強くなります。しかし、子供の人格が成長していくと、段々と「あなたは、どうしたい? 何が食べたい?」などと子供の【I】・メッセージを引き出していきます。そして、思春期になれば【I】・メッセージに対して責任が伴うことも教えていきます。そして二〇歳を過ぎれば、もはや親のメッセージではなく、自分の【I】・メッセージで生きていきます。
 また、子供が小さい内は、親の【I】・メッセージが強くなりますが、同時に「あなたは、どう思う?」「あなたは、どちらか好き?」などと、子供が「ボクは、わたしは」で答えられるように問いかけてあげるようにします。そうして、親自身が【I】・メッセージで伝えている姿をモデルにして、自分も【I】・メッセージで物事を表現できるようになってきます。

 しかし、もし親が【I】・メッセージだけで子供に「あなたは」の問い掛けをしなければ、前述のように子供は自分を表現することが出来ません。逆に親が【I】・メッセージで伝えないで、いつも子供のご機嫌を取るかのようにして、子供のしたいことだけを尊重していたら、それもただの自己主張の強い子供になります。まず親自身が【I】・メッセージで伝え、子供の【I】・メッセージも引き出してあげることです。

 例えば、小さな子供が禁止されている危険な遊びをした場合、親は、子供のじっとみつめて、「お母さん(お父さん)は、あなたがしたことで本当に心配て心臓が止まるかと思った。前にも注意したのに同じことを繰り返して、今ものすごく怒っているよ。君はなぜいけないと分かっていることをしたのか? それをしている時、どんな気持ちだった?」と、まず、親自身の【I】・メッセージを伝え、次に子供の行為、特に行為の原因となっている心に問いかけてあげるわけです。これを繰り返すことによって、子供はコミュニケーションの取り方を学んでいきます。もし、単にその危険な遊びをさせないことだけが目的であれば、脅かして、思いっきり恐怖感を与えるようにすればいいでしょう。しかし、子育ての真の目的は子供の人格が育つことです。ですから、どんな時でも【I】・メッセージを【愛】・メッセージとして子供に伝えていくのです。

 このように、成長の段階に合わせて、子供の【I】・メッセージを引き出し、【I】・メッセージを尊重していくと、今度はその子供が、相手の【I】・メッセージ、つまり人格を尊重することが出来るようになるのです。
 逆に、【I】・メッセージではなく、(Parents)=P・メッセージに生きていると、うまくいきません。自分の人格をコントロールされる、つまり自分の代わりに親が話してしまう。自分の考え、判断、選択が許されず、全て親の言う通りを要求される。このような対応を受けると、子供は【I】・メッセージを持てずに、常に親や他人の意見に基づいて生きるようになります。一方で、人格を守るために親の圧迫から逃れようと自分を極端に強く押し出すようになります。その結果【I】・メッセージは強くなりますが、【愛】・メッセージは持っていない、単なる自己主張が強く、他人の声に耳を傾けない人になってしまいます。
 【I】・メッセージは、同時に【愛】・メッセージでなければなりません。愛するとは、相手の人格を尊重することです。健全な人格的関係を表現するなら、「わたしはこう考えている。あなたはどう考えている? それでは私たちは、こう生きよう。」ということです。すなわち自分の考えも尊重し、相手の考えも尊重し合える関係です。

夫婦の会話

乳児期

 皆さんは、【I】・メッセージを持っていますか? 自分の考えていること、好きなこと、嫌いなこと、はっきりと相手に伝えることが出来ますか? あるいは、相手の伝えようとしていることを聴き取ることが出来ますか?

 また、皆さんの子供たちは、「わたしは、ボクは」としっかりと自分の思いを表現することが出来ますか? それとも判断を親に任せようとしますか? 親が決めないと何も動かない、ということがありませんか。

アイ(EYE)・メッセージ

 このアイ(EYE)・メッセージは付録ですが、語呂がいいので付け加えます。目は口ほどにものを言うと言います。よくアメリカの方は、相手の目を見て話しをします。しかし日本人の多くは、相手の目を見て話しをすることを苦手とします。それは、目を通して、心の内にまで入って来られるような感覚を持つからでしょう。たまに、赤ん坊の目が怖いという方がいます。あの純粋無垢な目に、心の中まで見透かされてしまうような、自分の汚さが分かってしまうような感覚になるのでしょう。

 うちの子供たちが小さい頃、叱られたり、落ち込んだりしている時によくしたことは、子供を膝の上に乗せて、「パパの目を見てごらん。何が見える?」と言って、目と目を合わせます。そうすると「自分が見える」と嬉しそうに答えます。「手を振ってごらん」と言うこと、手を振っている自分が見えます。「君たちは、いつもパパの目の中にいるよ」と言うと、とっても喜びます。そんな時の私の目は、子供たちを受け入れ、慈しんでいる目です。
 一方、ある日のこと、子供がとてもふてくされたような、本当に嫌な目つきをしたことがあります。思わずムッとしました。また、上の子供が下の子供の失敗を、咎めるような、嫌そうな目つきで見たことがあり、その時も近くでその光景を見ていてムッとしたことがありました。

幼児期

 しかし、その子供がしていた目つきは、全て自分自身が子供にしている目つきでもあることに気が付かされました。子供が失敗した時に「何やってんだ」という目つき。子供が言うことをきかない時に睨みつけた目つき。
 親として、どんな目で子供を見ているのか、本当に考えさせられます。今日一日、皆さんは、どのような目で子供を見ていましたか? 

思春期

 聖書の中にも、神の目が登場します。イザヤ書四三章四節
 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
 これは、他の人の目が、どのようにあなたを見ていたとしても、「わたしの目には」あなたは高価で尊いというのです。あなたは、自分の一番の宝物を見ている時の自分の目を想像できますか? きっと慈しみに満ちた目をしているに違いありません。そのように神は、私たち一人一人を、大切な宝物として見ていてくださるのです。
 またルカ福音書二二章六一節には
 「主は振り向いてペテロを見つめられた。」

イエスキリスト

積み木

 と記されています。これは、ペテロがイエスを三度知らないと裏切った直後の出来事です。この時にイエスがペテロを見た目は、どのような目だったでしょうか。咎め、責め、失望の目だったでしょうか。この後、ペテロは主を裏切ってしまったことを後悔して激しく泣きます。イエスの目は、慈しみに満ちた目、愛して赦す目だったと思います。だからペテロは後悔して泣いたのです。
 神の目とは、私たちが神に敵対し、神を裏切り、神から離れている時にでさえも、愛し、赦し続けてくださる目なのです。この目で見られていることが分かる時、私たちの目も和らいでくるようです。
 子供に、「親に対して、その目つきはなに!」と怒ることがありますが、そんな時は、「子供に対して、その目つきは」と言われるような目を親自身がしているものです。まず、自分自身が神の目の中に自らを見出すことです。
 長男が生まれた時のことを忘れることが出来ません。他の赤ん坊と一緒に産院の新生児室に寝かされていました。ガラス窓ごしに、自分の長男をじっと見ていました。自分に子供が出来たことに、言葉に表すことの出来ない感動に包まれていました。じっとじっと見つめていると、子供が自分の目の中に飛び込んで来たという実感を持ちました。「目に入れても痛くない」と言いますが、文字通りに痛くない経験をしました。聖書には次のような言葉もあります。
 「私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。」詩篇一七章八節
 神は、私たち一人一人を、ご自身の瞳のように見守ってくださるのです。神はどれだけ、じっとあなたを見ておられるか。どれだけ慈しみに満ちた目で見ていてくださるか。どれだけ喜びに満ちた目で見ていてくださるか。
 そんな神の目で見守られていることに感謝したいですね。そんな時の、自分自身の目も、またきっと優しい目をしているのでしょう。その目で、今度は子供たちも、夫、妻、廻りの人たちも見て上げることが出来たら、素晴らしいですね。  
文:関 真士

泉の会
  • 日時;木曜日  第一、第三、第五
    午前10時〜
  • 会場;アルファ・ハウス
    (マノア・マーケットプレイスの近く)
    2832 Lowrey ave Honolulu、HI 96822
  • 連絡;関 真士 TEL988-4314

★どなたでも、ご自由にご参加出来ます。