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関真士牧師
関真士牧師

 1964年東京生まれ。1984年にコックとして渡米し、サンノゼに滞在する。サンタクララ日系人教会でクリスチャンとなり、1988年に牧師になるべく東京聖書学院に入学。卒業後、おもに埼玉県、新座ニューライフチャペルで牧師として奉仕をする。2005年春、愛する妻と4人の子供達と共にホノルルキリスト教会へ副牧師として赴任し、現在は主任牧師。趣味は料理と茶道。

ブログ「風の吹くままに」 を掲載中


新年度 年間聖句 イザヤ書43章19節

「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」

 私たちは、荒野にある泉の湧く所として、この世に存在しています。渇いた旅人が、あそこに行けば助かると思えるような、あそこに行ったら癒されると言われるような、そんなオアシスのような存在です。
 泉は、私たち一人一人の内から湧き上がります。愛の泉、喜びの泉、平安の泉...、この泉は絶えることなく湧き続けます。

 人生とは旅です。旅の英語はトラベルですが、このトラベルの語源は、フランス語からラテン語までさかのぼり、元の意味は、「苦しみ、困難」という意味だそうです。
 本来の旅とは、今のような観光旅行ではなく、生活の糧を得るために、生き延びるための、命をかけた移動だったのです。その移動中には、荒野の渇き、野盗や猛獣など、困難が多くありました。私たちの人生の旅路も、山あり谷あり、良い時もあれば、難しい時もあります。

 しかし、この旅路には、イエスがいつも伴ってくださいます。私たちも一人ぼっちで歩いているのではありません。イエスは旅路の同伴者なのです。

 そして、一見、荒野を旅しているような時であっても、イエスが共にいてくださることを知る時に、そこは泉の湧く所となるのです。荒野から逃れるのではなく、荒野のただ中にあって、そこに泉が湧くのです。

 私たちは、この世に生きている限り、荒野を旅するかのようです。しかし、イエスが共にいてくださることを知る時に、そこに泉が湧き、川が流れ、道が開かれていくのです。

関真士牧師

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